丹波 蕪丸城



ファイルNo2916


               背後の堀切             

@ かぶらまるじょう 
  別名 奥谷城 

A住所:丹波篠山市殿町
B目標地点:
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・説明板
G時代/人物:戦国期/波多野氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2014年09月

  

道案内 

舞鶴若狭自動車道の丹南篠山口インタで下り、県道306号線に左折し篠山市中心部に進みます。約5Km先の糯ケ坪の信号で斜め右へ県道77号線に入ります。1.4Km先の八上下の信号で左折し国道372号線に入ります。約100m先を右折し(八上内の信号の100m手前)奥谷川沿いを進みます。約800m先を左折し奥谷川を渡り、すぐ右折し約600m先が殿町公民館です。その先に説明板があり、そのそばから登ります。

訪城備忘録

2006年に八上城訪城時に最初に訪城し、その後2回ほど訪城しましたが、いつも夕方になるため写真が暗い^^; 2014年の写真を使います。
基本は尾根先端に南の主郭が高く、北側の郭がやや低いという郭で、背後、八上城側に大堀切があって、西斜面に竪堀が落ちているという構造です。

説明板
歴史

石見国の土豪であった波多野清秀は管領細川政元から応仁の乱(1467〜77年)の戦功により多紀郡を与えられて、八上の蕪谷に奥谷城(蕪丸)を築城し本拠地としました。その頃、高城山山頂に永正五年(1508年)に波多野元清が本格的に城を築いたとされ八上城とし、蕪丸城は出城的な役割になった感じです。

  
大堀切
大堀切
竪堀
竪堀
主郭

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