播磨 / 中道子山城



ファイルNo2843


      堀切

@ ちゅうどうしさんじょう 
  別名 

A住所:加古川市志方町
B目標地点:
C形式:山城  D比高:200m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・竪堀・石垣・碑・説明板
G時代/人物:南北朝期/赤松氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  麓の駐車場から30分

J撮影・訪問時期:2014年01月

  

道案内  ←登り口

山陽自動車道加古川北インタを下り、県道43号線を南に進みます。2.1km先、志方東小学校東の信号を左折します。800m先を左折(角に説明板と城山登り口の標識有)し、200m右手に駐車場があります。この駐車場のところがT字で、ここを右手方向に登ります。きれいなアスファルト道路が続いていますが、入り口に車止めのポールが立っていますので、車は駐車場に停めて登ります。2.5kmほどで大手門跡に到達します。
 
訪城備忘録

アスファルト道を登っていくと、途中に毘沙門岩が左手にあり、そのそばから旧道があります。私は、この旧道で上り下りしました。 山頂部に近付いた大手門跡で新道と合流します。 ここはハングライダーの発進場でもあるようで、木立がない
箇所から麓まで見渡せます。この上には標識では「二の丸」と書かれた郭がありますが、その上の城山公園である箇所が二の郭と思われます。二の郭下の帯郭に入る虎口には明瞭な石垣が之之残ります。 西側に進むと標識では「三の丸」と書かれた二段の郭があり、その北側下には井戸及び城門跡(搦め手)があり、城門にも石垣が残ります。三の郭西下に廻り込むと明瞭な堀切があり、さらにその西下にもう一か所、明瞭な堀切が残ります。堀切がわりと規模が大きく、今も明瞭にその姿が残ります。 戻り、二の郭下から主郭側へ入ります。ここへの虎口脇に石碑と説明板があり、虎口を抜けると右手に米蔵郭となり、明瞭な土塁が周囲を巡ります。その上は主郭で、非常に広いという印象です。 主郭にも石碑があります。全体としては、戦国中期の縄張りの雰囲気がありますが、主郭、二の郭(城山公園)、三の郭は郭が大きく、城門のところどころに石垣もあり、居住性を兼ねた大きな城という印象です。

麓駐車場への入口
歴史

築城時期は定かではないようですが、南北朝期、赤松則村(円心)の4男の赤松氏載(氏則)が築城したとされます。また、一説では赤松満政の子の赤松繁広(満直)が孝橋氏の養子となり、孝橋繁広と名乗り、この城を築城したとの伝わるようです。 嘉吉元年(1441年)、嘉吉の乱で赤松本家は滅亡、孝橋繁広も中道子山城を失いますが、応仁の乱に乗じて、赤松政則が赤松家を再興、中道子山城には繁広の子の繁景が入りました。 その後、政頼、秀光と続き、秀光の子の秀時は三好氏に敗れ、浅瀬山城を本拠としたようです。織田信長の命を受けた羽柴秀吉の播磨攻めの時に落城し、廃城になったようです。

城門跡と石垣       米倉土塁
現地説明板より     城跡遠望
主郭の碑         眺望
  
大手門            櫓門(わずかに石垣?)
  二の郭下の郭        二の郭下より主要部方面
主要部虎口土塁と石垣
ニの郭上の郭(城山公園)の切岸        井戸      
三の郭        城門と石垣
三の郭下堀切
先端の堀切     竪堀
主郭手前虎口と碑         主郭

近くの城・関連の城:志方城