播磨/ 中道子山城



ファイルNo2843


      堀切

@ ちゅうどうしさんじょう 
  別名 

A住所:加古川市志方町
B目標地点:
C形式:山城  D比高:220m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・竪堀・石垣・碑・説明板
G時代/人物:南北朝期/赤松氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  麓の駐車場から30分

J撮影・訪問時期:2014年01月・2022年06月

  

道案内  ←登り口

山陽自動車道加古川北インタを下り、県道43号線を南に進みます。2.1km先、志方東小学校東の信号を左折します。800m先を左折(角に説明板と城山登り口の標識有)し、200m右手に駐車場があります。この駐車場のところがT字で、ここを右手方向に登ります。きれいなアスファルト道路が続いていますが、入り口に車止めのポールが立っていますので、車は駐車場に停めて登ります。1.2kmほどで大手門跡に到達します。
 
訪城備忘録

アスファルト道を登っていくと、途中に毘沙門岩が左手にあり、そのそばから旧道があります。 山頂部に近付いた大手門跡で新道と合流します。 ここはハングライダーの発進場でもあるようで、木立がない箇所から麓まで見渡せます。この上には標識では「二の丸」と書かれた郭がありますが、その上の城山公園である箇所が二の郭と思います。大手門のすぐに櫓門という標識があり、石列が残ります。さらに登り二の郭下の帯郭に入る虎口にも明瞭な石垣が残ります。 二の郭下から主郭側へ入ります。ここへの虎口脇に石碑と説明板があり、虎口を抜けると左手が米蔵郭となり、明瞭な土塁が周囲を巡ります。その上は主郭で、非常に広いという印象です。 主郭には「赤松城址」という石碑が立ってます。

西側に進むと標識では「三の丸」と書かれた二段の郭があり、その北側下には井戸(今はフェンスに囲まれてます) 及び、城門跡(搦め手)があり、城門にも石垣が残ります。三の郭西下に廻り込むと明瞭な堀切があり、さらにその西下にもう一か所、明瞭な大堀切が残ります。堀切がわりと規模が大きく、今も明瞭にその姿が残ります。 全体としては、戦国中期の縄張りの雰囲気がありますが、主郭、二の郭(城山公園)、三の郭は郭が大きく、城門のところどころに石垣もあり、居住性を兼ねた大きな城という印象です。

麓駐車場への入口
歴史

築城時期は定かではないようですが、南北朝期、赤松則村(円心)の4男の赤松氏載(氏則)が築城したとされます。また、一説では赤松満政の子の赤松繁広(満直)が孝橋氏の養子となり、孝橋繁広と名乗り、この城を築城したとの伝わるようです。 嘉吉元年(1441年)、嘉吉の乱で赤松本家は滅亡、孝橋繁広も中道子山城を失いますが、応仁の乱に乗じて、赤松政則が赤松家を再興、中道子山城には繁広の子の繁景が入りました。 その後、政頼、秀光と続き、秀光の子の秀時は三好氏に敗れ、浅瀬山城を本拠としたようです。織田信長の命を受けた羽柴秀吉の播磨攻めの時に落城し、廃城になったようです。

搦手城門跡と石垣       米倉土塁
現地案内板より
眺望
眺望
  
大手門            櫓門(わずかに石垣)
櫓門(わずかに石垣)
  二の郭下の郭        二の郭下より主要部方面
主要部虎口土塁と石垣
主要部虎口土塁と石垣
米倉・主郭への虎口土塁と碑
米倉土塁
主郭
主郭
ニの郭上の郭(城山公園)の切岸        井戸           
搦め手門
搦め手門と石垣
搦め手門と石垣
三の郭        城門と石垣
三の郭下堀切
三の郭下堀切堅堀
三の郭下堀切
先端の大堀切     竪堀
大堀切
大堀切
城跡遠望
登城道沿いの毘沙門岩

近くの城・関連の城:志方城