但馬 / 亀ケ城



ファイルNo2835

但馬の城は畝状竪堀が多い。亀ケ城の畝状竪堀も明瞭で迫力満点

            西郭の北西下の畝状竪堀(下から)

@ かめがじょう 
   

A住所:豊岡市但東町太田
    旧:出石郡但東町

B目標地点:
C形式:山城  D比高:120m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀切・竪堀・畝状竪堀・説明板
G時代/人物:鎌倉期/大田氏?
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2013年11月・2019年11月

  

道案内 

舞鶴若狭自動車道の福知山インタで下り、国道9号線を市内に向かいます。15Km先、野花の信号で右折し国道426号線に入ります。約28km先、出合のT字信号で国道428号線に右折します。5km先左手に「亀ケ城」の大きな標識があり、そこを左折し、50m先の集落内T字を右折し、100mほど進むと左手山裾に説明板が見え、そこが登場口です。

訪城備忘録

この城は山頂部に東の郭と西の郭の二つの大きな郭を中心に、それぞれに付属した大きな副郭を配し、中腹を巡るように帯郭(通称:馬駆け場)が東西の中心郭を包みながら北下から西下・東下へ半周していて、小型ですが、古宮城(愛知県)を思い出させます。見所は東の郭の西下の大きな堀切、西の郭の西側のふたつの大きな堀切と西の郭の南北西斜面に配された畝状竪堀です。大堀切から繋がる南北の畝状竪堀は大堀切に連結して三又状になっている形状もめずらしいです。

2019年11月に再訪しました。ここの畝状竪堀は大きくて綺麗です。麓は獣除けフエンスが巡っていました。説明板もフェンスの中でちゃんと説明板を撮影できない。^^; 前回あまり気にしなかった東の郭のふたつの虎口、コの字に曲がりながら入る南からの虎口、北側から西側に降りる虎口は一見平虎口のようですが、下の副郭が馬出のような役目で南側へ降りて西側へ進むようになっています。西の郭の北西の畝状竪堀は下から見上げられてすごいです。

登城口の説明板
歴史

城史は不明のようです。鎌倉期の但馬守護、太田昌明が築城したと伝承されますが、定かではないようです。ただ、承久の乱(1221年)より太田氏が但馬守護であり、鎌倉幕府滅亡まで守護であったもので、この地は太田氏が初期に関わりはあったのは事実のようです。室町期遺構の城史も明確ではないようですが、天正八年(1580年)に羽柴氏(秀長勢)に攻められ落城したと言われるようです。遺構は戦国末期の城です。何時、今の形になったのかも不明のようです。

北西の畝状竪堀
西の郭下の堀切(堀切B)
東西郭間の堀切     西郭の石積み痕跡?  
現地説明板より
東郭周辺 
東の郭から南に伸びる尾根上の郭 
竪堀
南の郭を横から
東の郭の虎口を内側から
南の郭の土塁       東の郭の中心部
東の郭の西側下副郭      東の郭の土塁
東の郭の土塁
東の郭の西側下堀切
東の郭の西側下堀切
東の郭の西側下堀切
東の郭の西側下堀切(北下斜面から)
西郭周辺
西の郭の土塁
西の中心郭の土塁   畝状竪堀を上から
西の郭の北西側畝状竪堀
西の郭下堀切から畝状竪堀のコブ
西側畝状竪堀と西端の堀切
南側畝状竪堀
西端の堀切(堀切D)
西の郭の北西側畝状竪堀
西の郭の北西側畝状竪堀(下から)
西の郭の北西側畝状竪堀(下から)
畝状竪堀

近くの城・関連の城: