但馬 国分寺城



ファイルNo2834


                            

① こくぶんじじょう 
  別名 水上山城 

②住所:豊岡市日高町国分寺
   旧:城崎郡日高町

③目標地点:売布神社
④形式:山城  ⑤比高:70m 
⑥現況:山林

⑦遺構等:郭・堀切・竪堀・堀・土塁
⑧時代/人物:南北朝期・戦国期/?・大坪氏
⑨満足度: 凸凸
⑩最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

⑪撮影・訪問時期:2013年11月

  

道案内 

舞鶴若狭自動車道の福知山インタで下り、国道9号線を市内に向かいます。15Km先、野花の信号で右折し国道426号線に入ります。約28km先、出合のT字信号で国道426号線は左折します。 (ちなみに右折は国道428号線です。) 10km乙女橋の信号を右折すると出石の中心地に向かいますがそのまま国道を直進です。国道428号線を道なりに約18km先、鶴岡橋の信号で国道312号線に合流します(国道428号線と併用)入ります。1.5km先の但馬日高郵便局前で右折します。700m先の岩中の信号で国道としては右折です。400m先、祢布の信号で右折します。500m先の信号で左折し500m先の但馬国分寺を越えて100m先の売布神社から右手上水道施設へ登ります。
 
訪城備忘録

資料によると元々の南北朝期の城郭が戦国期に改修されて今見る遺構になっているとされます。上水道施設から段郭を2段ほど過ぎると主郭で背後の大堀切を隔て北側に副郭があります。副郭の東西斜面に竪堀(畝状竪堀)、北側に横堀があります。副郭の方が主郭っぽいけど。 横堀北側の東西のふたつの尾根には小郭が連なるようですが見てないです。 竹藪、草木が多くて見学はしにくかったです。

国分寺跡
歴史

築城時期、築城者は定かではないようですが、南北朝期には築城されたようで 延文元年(1358年)、北朝方の伊達真信が布陣したと史料にあるようです。また、天正八年(1580年)、羽柴秀長の但馬侵攻時、大坪又四郎が城主で秀長に対抗したとあるようです。

横堀     竪堀
  
主郭   --
横堀と竪堀合流土塁      --     

近くの城・関連の城: