道案内 ←山上の城 ←下の城 |
神戸淡路鳴門道の洲本インタで下り、国道28号線に入ります。約5km先の青雲橋で国道は右折です。川沿いを1.2km進み、塩屋の信号で右折し県道76号線に入ります。500m先の栄町2丁目の信号で左折し、200m先の栄町2丁目東の信号で右折します。900m先、山すそのY字を右手に入ります。500m先を左折し、後は道なりに山道を進むと大手門跡の石垣のところに至ります。大手門先で大きく左へカーブをして登った先が駐車場です。 徒歩で登るには、洲本税務署の前の道を山すそまで行って、左手小道を登るようです。麓の城に行くには栄町2丁目の信号で左折後、県道を道成りに進みます。900m先の山手1丁目の信号で右折した左手側に水堀と石垣が見えます。
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訪城備忘録 |
山上の大手門から本丸、西の丸、東の丸とこれでもかの石垣、加えて、西登り石垣、東登り石垣と広大な城域にこれでもかの総石垣の城、圧巻です。天守台には竜宮城のような模擬天守の展望台が建っています。せっかくの城跡ですからできればもう少し本物に近いほうがいいのになとは思いますが、建てられた時期等の事情があるんでしょうね。とにかくも、山上からの眺望は気持ちがいいです。 * 模擬天守は昭和三年(1928年)に建てられた模擬天守としては一番古いものだそうですが、今は立ち入り禁止です。また、登り石垣は伊予松山城、近江彦根城などにしかないめずらしい遺構になります。*
麓には江戸期の政庁としての城域で、石垣、水堀が残ります。
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麓の城址碑
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大永六年(1526年)に安宅治興が築城したとされます。天正九年(1581年)に羽柴秀吉に降伏し開城、城には仙石秀久が入りました。城は石垣の城に改修されていきます。天正十三年(1585年)、九州討伐で失策した秀久は除かれ、脇坂安治は入りました。安治は城を大改修して天守や登り石垣がこの頃に築かれたものです。慶長十四年(1609年)、安治は伊予大洲に転封、姫路の池田氏が領しましたが、大阪の陣後の元和元年(1615年)、この地は阿波の蜂須賀至鎮に与えられました。寛永八年(1631年)から寛永十二年(1635年)にかけて、淡路の拠点を由良城から洲本城に移し城下町ごと移転しました。城代として稲田氏が入り、以後、稲田氏が明治維新まで城代を務めました。
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