播磨 平井山本陣



ファイルNo1941


                            本陣

@ ひらいやまほんじん
  別名 平井城・平井山ノ上付城 

A住所:三木市平井
B目標地点:
C形式:山城  D比高:50m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・説明板
G時代/人物:戦国期/羽柴氏(豊臣氏)
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  駐車場から10分

J撮影・訪問時期:2008年08月・2017年07月

  
道案内 

山陽自動車道三木東インタを下り、県道85号線を左折し南下します。約600m先の御坂の信号で右折し県道38号線に入ります。(御坂の信号から400m先の奥田橋東詰の信号を右折しても県道38号線(新道)です。) <約6km先、神電恵比須駅前の信号で旧道、新道が合流>、新道だと約5.5kmの三木庁舎東の信号で右折し、200m先の宿原の信号を左折し県道38号線旧道と合流、200m先の宿原西の信号で右折し県道513号線に入ります。約2.8km先、右手に平井公民館の所で右折します。約600m先右手が駐車場で説明板があります。ここから登ります。
 
訪城備忘録

2008年に訪城した際よりは整備されてました。以前は本陣のみやや公園化されていて、斜面はよくわからず、ブドウ園にぶつかるという感じでしたが、無数の郭が斜面にあるようですが立ち入り禁止もありますが、よくわからないというのが正直な感想です。本陣横の郭の土塁が櫓台のように見えます。最近、谷筋の大手道からも登れるようになったとのことですが登城口には駐車場はないようです。

駐車場説明板
歴史

天正六年(1578年)、羽柴秀吉が築きました。同年、三木城の別所長治が織田氏を離反し毛利氏に付いたため、これを攻略するための付城群の本陣として築かれました。天正八年(1580年)、世に言う三木城干殺しで別所長治が切腹し三木城が落城まで本陣としました。なお、天正七年に当地で竹中半兵衛が亡くなっています。


本陣土塁        副郭大土塁
本陣から三木城方面
  
塹壕のような登り路         本陣手前
本陣         本陣土塁
副郭
     副郭虎口            大手からの本陣虎口?
鞍部の横堀状         大手道(推定)
竹中半兵衛の墓        2008年当時の本陣

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