大嶋城 f4127 |
室山城 f4128 |
|
Aたつの市御津町室津 旧:揖保郡御津町 B室津漁港 山陽自動車道の龍野西インタを下り、料金所を出て約200m先のインター前の信号を左折し県道121号線に入ります。約1.4km先の信号で直進し国道2号線を越えて県道442号線に入ります。約4km先、山津屋の信号を直進して県道441・442号線共用道路に入ります。約2.5km先の浦部の信号を直進して県道442号線を進みます。約2.5km先で県道442号線は左折なります。さらに約2.5km先で右折し国道250号線(はりまシーサイドロード)に入ります。約3.5km先、室津港入口の信号の先で左折しまっすぐ坂を上ります。(右手に下りていくと室津港です。) 約600m先で逆V字に左折し坂を登った中間に城址碑があります。その上には住宅と荒れ地があり、この辺が本丸です。本丸の手前、国道から入って約250mのとろの右手には二の丸公園があります。周囲は住宅地になっていて城跡の痕跡はありません。唯一城址碑のみです。 |
||||
C丘城 F遺構等:石碑 G室町期・戦国期/赤松氏・浦上氏 H満足度:凸 築城者、築城時期は定かではないですが、赤松円心の防衛拠点であったようです。建武三年(1336年)、新田義貞が白旗城を攻めた際に円心は子の範資をこの城に入れてましたが、新田軍に攻められ落城したようです。その後、赤松氏は城を奪還し本郷直頼、赤松頼則を置いたとされます。嘉吉元年(1441年)の嘉吉の乱後、播磨守護になった山名持豊(宗全)は山名政豊をこの城に入れたとされます。(政豊は嘉吉元年生まれのようなのでいつ頃なんでしょうね?) 応仁の乱後<〜文明九年(1477年)>、赤松氏は播磨守護を回復、配下の浦上則宗が室山城を支配しますが、のちに赤松氏と浦上氏は対立するようになってました。永禄九年(1566年)、浦上政宗は黒田職隆との関係強化のため次男清宗と職隆の姫の婚礼を室山城で行うためこの城に滞在したところに龍野城の赤松政秀が急襲して浦上親子、花嫁ともども殺害され、以後、室山城は廃城になったようです。 この戦いは正月十一日だったそうです。そのため、姫を供養するため室津のひな祭りは三月三日にはしないで八月一日の八朔の日に行うそうです。 |
|||||
J訪城:2025/03 | |||||
![]() |
|||||
|