兵庫の城03  

                                                                               

加古川城  2868
称名寺

説明板
    糟屋館 糟屋城
A加古川市加古川町本町
B称名寺
神戸から来ると国道2号線で加古川駅前の信号を越え、約1km先、加古川町本町(高架ですから注意)の信号を右折し約100m先右手が称名寺です。城跡の遺構はなく、説明板があるのみです。

C平城
F遺構等:説明板 
G鎌倉期/糟屋氏 
H満足度:凸
鎌倉初期、糟屋有教が築城しました。天正五年(1577年)、羽柴(豊臣)秀吉が毛利氏攻めの軍議が「糟屋の館」(加古川城)で開かれました。十二代の(助右衛門)武則が秀吉に従い、のちに、天正十一年(1583年)の賤ケ岳の戦いで七本槍の一人に数えられました。糟屋氏は関ケ原の戦いでは西軍に付いたため改易されました。

J訪城:2014/04
  
石弾城  2869
説明板と碑
泊神社

A加古川市加古川町木村
B泊神社
神戸から来ると国道2号線で加古川駅前の信号を越え、約1km先、加古川町本町(高架ですから注意)の信号を越えて約120m先を左折し、加古川西高校を過ぎて、国道2号線のところで左折してから約1.2km先左側が泊神社です。境内に城の説明板と碑があります。もう薄くて読みずらい^^;

C平城
F遺構等:石碑・説明板
G室町期/木村氏(大井氏・雁南氏) 
H満足度:凸
歴応二年(1339年)、大井伊予守宰が地頭職としてこの地に入って築城しました。ここが雁南庄であったので、雁南氏を名乗ったもので、宰の子の雁南右衛門四郎勇といい、赤松氏に従ったとされます。勇の子の刑部太郎長は木村源太郎と名乗りました。康生元年(1455年)に勇が討死し、源太郎が石弾城の城主でありましたが、長禄元年(1459年)、山名宗全に攻められ源太郎は討死し落城しました。<現地案内板より>

J訪城:2014/04
   
古大内城  2870 
城址碑
A加古川市加古川町古大内
B大歳神社
神戸から来ると国道2号線で東加古川駅前の信号を越えて約2km先、野口農協前の信号で左折し、約500m先の右手が大歳神社です。境内に城址碑があるのみです。

C平城
F遺構等:碑 
G平安期?/源氏 
H満足度:凸
詳細不明ですが、赤松氏の先祖にあたる源秀房の居館とされます。

J訪城:2014/04