兵庫の城01  ▽播磨

                                                                               

播磨・坂本城  3231
土塁と碑・説明板

土塁と堀
道の反対側の土塁痕
A姫路市書写  
  堀之城 御構御所 書写坂本城
B兵庫県立大学工学部校舎
山陽自動車道の姫路西インタを下り、山陽姫路西インタ東の信号で県道545号線に入ります。道なりに約6km先、兵庫県立大学工学部前の信号で右折します。約300m先の右手に説明板があります。
ほとんどが宅地や田畑で消滅していますが、説明板のあるところに土塁、道の反対側の桜池池そばにも土塁の痕跡があります。

C平城
F遺構等:土塁・碑・説明板 
G南北朝期/赤松氏 
H満足度:凸
築城時期は定かではないようです。初代則村(円心)から範資(則村長男)−則祐(則村三男)−義則(則祐の子)ー満祐(義則の子・嘉吉の乱) と続くわけですが、四代義則の時代には坂本城は存在したとされます。嘉吉元年(1441年)の嘉吉の乱で満祐が自刀すると 山名宗全の領地となりました。長禄元年(1457年)の長禄の変で赤松政則は赤松氏の勢力を盛り返し、文明元年(1469年)に置塩城を築城したため、坂本城は廃城になったようです。

J訪城:2017/04
  

白鳥構  3232
白鳥構A:水路(堀)
白鳥構A
白鳥構B
AA:姫路市実法寺
 B:姫路市打越
B(A)真光寺 (B)白鳥福祉会館
山陽自動車道の姫路西インタを下り、山陽姫路西インタ東の信号で県道545号線に入ります。道なりに約4km先の六角橋西詰の信号で右折し県道411号線に入ります。約100m先の新六角橋西詰の信号で右折し県道545号線(新道)に入ります。約700m先の右手に白鳥構の城址碑があります。(B) 六角橋西詰の信号から県道411号線で約1.6km先で右折し実法寺の集落内に入ります。約400m先が真光寺です。水路がどこまでが堀跡かという感じです。(A)

CA:平城 B:丘城
F遺構等:A:堀? B:説明石碑
G戦国期/小国氏 
H満足度:凸
嘉吉の乱で功のあった小国頼福が築いたとされ、最初は白鳥山側(B)に築城したようですが、後に天文の頃に小国十兵衛が実法寺側(A)に移ったようです。


J訪城:2017/04
A: B: 
   

高砂城  3230 
城址碑
高砂神社
A高砂市高砂町東宮町
B高砂神社
神戸方面から来ると、加古川パイパスの西井ノ口を左折します。約800m先の平津の信号を直進、国道2号線を横切ります。約2.5km先の古新西の信号で国道250号線を横切ります。約1.2km先の小松原の信号で左折し県道718号線に入ります。約1km先の文化会館前を直進します。約1.2km先の北本町で左折し、約100m先の藍屋町の信号で右折し再び県道718号線に入ります。約800m先の左手が高砂神社です。
遺構はありません。高砂城址の碑と池田輝政の像があります。

C平城
F遺構等:碑 
G室町期/杉岡氏・梶原氏・中村氏 
H満足度:凸
築城時期は定かではないですが、嘉吉の乱の際は杉岡蔵人が赤松氏に従ったようです。三木城攻城戦の際は高砂城主梶原氏(景則ー景行)は別所氏側に付いて、物資補給を行ったとされます。関ケ原の戦い後、池田輝政が姫路城に入り、高砂城には家臣の中村主殿助が入り拡張されたようです。元和元年(1615年)の一国一城令で廃城になったものです。

J訪城:2017/04