因幡 狗尸那城



ファイルNo3657


              主要部(主郭)下横堀              

@ くしなじょう 
  別名  

A住所:鳥取市鹿野町鷲峯
    旧:気高群鹿野町

B目標地点:
C形式:山城  D比高:250m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・堀切・竪堀・土塁・石積み
G時代/人物:戦国期/山名氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
林道途中の分岐から25分(比120m)・林道沿いから8分(比20m)

J撮影・訪問時期:2020年07月

  

道案内     

鳥取自動車道の鳥取インタから、そのまま繋がる国道9号線自動車専用道を進み、約19km先、浜村鹿野温泉インタを下りて左折し県道32号線に入ります。約6km先の新鹿野大橋東詰の信号を右折し県道21号線に入ります。約4.4km先、小別所のバス停を過ぎた先で左折し林道を進みます。<けっこうダートで急です。> 約1.2km先でY字分岐があり、左手入口に車を止め徒歩で登ります。右の林道はまだ車で登れますがどこに続いているかわかりません。分岐林道(車は無理です)を比高で100mほど登ったところで再度林道と合流します。この林道が分岐点の林道と繋がっているのか確認できていません。地図を見るとけっこう林道があるため。 合流した林道を左手50mほどのところで左折し尾根道を進むと400mほどで城跡です。<林道はまだ続いていますので登り口を間違えないように>
 
訪城備忘録

尾根道を進んでいくと細尾根になる箇所があり、右手が竪堀のように見える箇所を過ぎると一つ目の堀切に至ります。これを越えて尾根上の小郭群を越えると二つ目の堀切です。二つ目の方は深さもあり、一つ目よりより明瞭です。ここの切岸は7mくらいはあるかな?登りきると主郭手前です。主郭は大きいという印象です。発掘調査で礎石が整然と並べられた大きな建物跡が出てます。主郭北側に二段の段郭があり、その下に深くて明瞭な横堀が横たわっています。この横堀に竪堀が連結されており、全体が堀底道のようにも見えます。主要部の切岸を見ると石積みの痕跡があちこちに見られます。往時は鉢巻き石垣のようになっていた感じです。主郭北側下の横堀は東西端と途中で竪堀が落ちていて、また、主郭西側下にも横堀と竪堀が連結したようになっていますがこちらはやや不明瞭です。主郭下北東郭虎口とも繋がり、横堀の東端はまた竪堀が落ちている感じです。西側中間の竪堀と東側端の竪堀の間の空間には正方形状の郭が二段ありました。北東郭には大穴があり、井戸跡?のようです。この郭の北側にも堀切があり、さらにその先にも小郭があります。城域としては小さなものですが、主郭は異常に大きくさらに礎石建物跡があり、北側の横堀は発達していて、竪堀との連携も技巧的で主郭周囲には石積み痕跡も見られ、土豪の城というわけではないようです。

城とは関係ないんですが、県道21号線を林道入り口からさらに1kmほど行ったところには鷲峯神社があります。ここの狛犬は川六作で幕末のものですが、狛犬がとてもユニークで一見の価値があります。

石礫
歴史

築城時期・築城者は不明です。山名弾正という豪族の城であったとされ、天正年間初期に鹿野城の亀井氏に攻略されたとも伝わります。遺構、特に主郭は礎石建物があり、主郭も相当に広いものであり、主郭下の横堀、横堀から竪堀への技巧さ、主郭切岸を中心とした所に石積み痕跡が見られるなど、この城が山名氏以降も使われたように考えられ、それは天正8年(1580年)、9年(1581年)の秀吉の鳥取城攻めに関連しているかもしれないようです。

尾根の堀切     主郭下横堀
登り口から林道を見る   登り口案内    登り口から尾根道へ
  
尾根道最初の堀切
尾根道最初の堀切
尾根道二つ目の堀切(主郭下)
尾根道二つ目の堀切(主郭下)
主郭北側段郭
石段?遺構
石積み遺構
主要部段郭端から北側下横堀を見る
主要部段郭端斜面石積み遺構
北側下横堀
主要部段郭切岸と石積み痕跡
主要部北側下横堀と土塁
横堀西側端から落ちる竪堀
横堀西側中間から落ちる竪堀
主要部下横堀を横から
横堀東端 左手は竪堀状・正面は主郭下北東郭
主郭東側から横堀に落ちる竪堀と登り土塁
石積み痕跡
鷲峯神社(しゅうほうじんじゃ) 
鷲峯神社
鷲峯神社狛犬
鷲峯神社狛犬

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