道案内 |
国道9号線和江漁港入口の信号から国道375号線に入り、約3km先、市民病院のそばの信号で右折し県道46号線に入ります。約11km先で県道31号線との交差点です。さらに県道46号線を約2km先(石見銀山トンネルを越えた先)で大森町へは右折ですが、大森町の住宅地は駐車場が少ないため、この地点から県道46号線をさらに約800m先まで行って右折すると石見銀山世界遺産センターの大駐車場です。 ここから乗り合いバスに乗り換えて、大森代官所跡バス停まで行き、ここからレンタサイクルや徒歩で約4km先の石見銀山龍源寺間歩を目指します。この道沿いに(代官所前から約2.8km先)山吹城の登城口の標識があります。(豊栄神社から約500m先の右手)
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訪城備忘録 |
ここへの目的は石見銀山、特に大森町であったので、山吹城は見上げるのみでした。
大森町は江戸期から昭和初期までの家々が混在した街並みが残ります。田舎の町だからと言って町は死んでません。確かに世界遺産になったことは影響としては大きいでしょうけど、その以前から電柱は立てない、奇抜な看板は出させないなど、町全体でこの町を守っておいでです。生きた町を見させていただきました。石見銀山は龍源寺間歩が一般公開されています。
山吹城は山頂の主郭から南北に段郭があり、北段郭は三段あり、主郭手前には説明板が設置してあり、竪土塁があり、石垣があるようです。主郭には城址碑があり、南下にL字の空堀が残るようです。南段郭は三段あり、南端斜面には畝状堅堀があるようです。
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山吹城登城口
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石見銀山は延慶二年(1309年)に発見され、大正十二年(1923年)に閉山となりました。
山吹城は築城時期は定かでは無いですが、石見銀山が発見された同時期に大内弘幸によって築かれたとされます。これ以後、石見銀山の所有を巡って大内氏と尼子氏、大内氏と小笠原氏、毛利氏と尼子氏などの抗争を経て毛利氏が永禄五年(1562年)遺構は確保したようです。慶長五年(1600年)の関ケ原の戦い以後は徳川幕府の直轄領となり、拠点を山吹城から大森代官所に移され、廃城になったとされます。
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