道案内 ←登り口 ←城跡 |
山口県庁付近から国道9号線で約50km、(山口県と島根県の県境の野坂峠のトンネルを越えて約4km先で)斜め左の県道226号線へ入ります。道なりに約2km下るとTj字交差点で左折し県道13号線に入ります。800m先、左手の津和野高校のところで右折し太鼓谷稲成神社へ向かいます。400mほど登ったところの右側にリフト用の駐車場があり、右の左手上にリフト乗り場があります。リフトはスキー場のリフトの感じです。 尾根までリフトで登り、左手方向に進みます。徒歩の場合は、リフト乗り場の先に入口がありました。電車は山口線の津和野駅で降りて、県道13号を南方向に約2km行ったところが津和野高校地点です。リフトに乗って、リフト降り場から津和野城まで15分、津和野城から尾根伝いに30分というところでしょうか。鷲原八幡宮へは津和野高校前から県道13号線をさらに3kmほど山の麓を進むと右手にあります。
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訪城記録 |
この城には津和野城から尾根上を進んで行き、鷲原八幡宮に降りるコースで行きました。 津和野城から南出丸などを見学しながらですからこのコースがいいと思いますが、麓に下りてから津和野高校前まで戻るのが長かった(笑) さて、城跡ですが、ここは津和野古城というか、元々の三本松城です。そう大きな城域ではありませんが、尾根から入ると出郭のような小郭を越え、小さな堀切を越えると主要部です。主要部は二段の割と広い郭です。特出は主要部下の三方に空堀からハリネズミ状にある畝状竪堀です。明瞭な竪堀でなかなか見応えがありました。
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主郭と説明板
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弘安五年(1282年)に石見に入った吉見頼行が永仁三年(1295年)より築城を開始し、(当初は現在の中荒城が最初の津和野城(三本松城)と言われる) 正中元年(1324年)の頼直の代まで続いたとされます。その後も順次拡大していったようで、天文二十三年(1554年)の三本松城の戦いと言われる陶氏との戦いの際に竪堀などが構築され、100日籠城に耐えたと言われます。吉見氏は頼行以降14代続きましたが、毛利氏に従っていた吉見正頼でしたが、毛利氏が関ヶ原の戦いで西軍に与し、戦後に防長2国に減封されて萩に移ったため、それに従いました。替って、関ヶ原の戦いの功績で坂崎出羽守直盛(宇喜多詮家)が入封し、元々の三本松城の城域を相当に縮小し、山頂部分を総石垣の城に改修したとされます。中荒城は放置されたようですね。
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