備前 八浜城



ファイルNo3604


             横堀               

@ はちはまじょう 
  別名 両児山城 

A住所:玉野市八浜町八浜
B目標地点:両児山公園
C形式:山城  D比高:40m 
E現況:山林・公園・神社

F遺構等:郭・堀・堀切・畝状竪堀・碑
G時代/人物:戦国期/宇喜多氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  公園駐車場から5分

J撮影・訪問時期:2019年10月

  

道案内 

瀬戸中央自動車道の水島インタを下り、県道62号線を北上します。約5.6km先、新稔橋の信号で右折し県道22号線に入ります。約8km先の信号で県道は左折です。約1km先の七区入口の信号で右折し国道30号線に入ります。約4.4km先の横田口の信号で左折します。約10km先が八浜のY信号で、斜め左に行きます。約1km先の八浜中前の信号で左折し児島湖沿いを進みます。約1lm先、右手が下水道浄化センターにところで左斜めへ登る道がありますのでそれを進みます。約600m先が両児島公園の駐車場です。
 
訪城備忘録

この城は北のピークと南のピークのふたつのピークに城があり、鞍部のところに駐車場があり、公園になってます。北の城は神社になってますが、東斜面には畝状竪堀が残るようです。(見ませんでした^^;)、南の城は城址碑とある尾根上が郭で東側に屈曲した横堀が残ります。さらに東斜面には薄くてほとんどわかりませんが、畝状竪堀があります。南端は堀切となってます。公園や神社になってるため、遺構は相当に破壊された感じですが、横堀は明瞭です。

城址碑
歴史

天正八年、または、天正九年(1581年)に宇喜多氏が築城したとされます。宇喜多直家がこの年の末に病死した機会をとらえて毛利勢は穂井田元清を大将に児島郡に進出しました。天正十年に宇喜多基家らが八浜城に布陣し、天正十年に毛利氏と合戦となり、基家は討死し苦戦し八浜城に籠城し防戦しました。その後は秀吉と毛利氏の和議により境目の城である八浜城は役割を終えたとされます。

横堀     堀切
  
北の城の神社鳥居      横堀の屈折部
横堀
畝状竪堀

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