備前 砥石城



ファイルNo3472


                主郭            

@ といしじょう 
  別名:備前砥石城・砥石山城・砥石ケ城

A住所:瀬戸内市邑久町豊原〜東谷
    旧:邑久郡邑久町

B目標地点:
C形式:山城  D比高:100m 
E現況:山林

F遺構等:郭・石積み・土塁・標識・説明板
G時代/人物:戦国期/浦上氏・宇喜多氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2018年10月

  

道案内 ←城跡   ←登り口

岡山ブルーライン(県道397号線)の邑久町豊原のインターを下り、県道231号線を南下します。800m先で左折し千町川を渡ります。渡って200m先に登場口があります。(赤穂線邑久駅から約2.5km先) 登城口からしったりとした山道です。墓地の横を通過しひたすら山道を比高100mを登ると主郭です。
 
訪城備忘録

登城道と主郭はきれいに整備されていますが、段郭や出丸は藪状態です。主郭のみが城ではないので整備をもう少し考えてほしいなとは思いましたが、古い写真を見ると発掘調査時でしょうか城域はいったん丸刈りにされた感じです。主郭の周囲にはきれいな石垣がありますが、これはほとんど江戸時代末期の金毘羅宮の石垣で城の遺構ではないです。一部に城の石垣が残っていると資料にはありますが、よくわかりませんでした。出丸は主郭のある尾根とは平行にある別の尾根上にあります。主郭から尾根を奥に進んでいくと(400mほどかな)途中で鉄塔に登る分岐点があります。ここの斜面の道を登り鉄塔まで行きます。鉄塔を前に左手に行くと高取山城、右手に行くと砥石城出丸です。出丸への道は藪藪です。少し尾根道を進み、これって堀切?と思われるところを越え、最後の斜面を登ると出丸です。出丸南側には低い土塁も確認できます。出丸の東側斜面にも段郭があるようですが、藪でとても下りられませんでした。今回は高取山城には時間がなく行けませんでした。登り口から1.1kmと表示されてました。今回は北の登り口からでしたが、南の登り口には「宇喜多直家生誕地」という石碑もあるようです。

登り口の標識と説明板
歴史

文明年間(1469〜86)に浦上氏が築いたのではないかとされます。浦上氏の家臣の宇喜多久家がこの城に関わり、大永年間(1521〜28年)、浦上村宗の家臣であった宇喜多能家(久家の子)が居城としたとされます。能家が隠居し興家の城主であった天文三年(1534年)に同じ浦上氏の家臣の高取山城の島村豊後守盛実に夜討ちされ能家は自害、興家、その子直家は逃亡しました。城は島村氏に協力した浮田大和守国定に与えられました。浦上宗景の元で宇喜多家を再興した直家は天文十八年(1549年)に浮田大和守を攻めて城を奪還し弟の春家を城主としました。直家が天正元年(1573年)、岡山城に居城を移した頃、春家を沼城(亀山城)に移しましたが、その後の城史については不明のようで廃城の時期がわからないようです。

段郭        段郭の石積み?
現地説明板より
  
郭の上の石は当時のもの?  後世の石垣 石垣が綺麗すぎる           
尾根側主郭への石段(後世)   尾根側出郭?
   
出丸遠望
尾根道から分岐点の標識      鉄塔から出丸への入り口標識
堀切?       出丸の土塁
出丸
  
麓から城跡遠望(左が主郭・右が出丸)
麓から主郭
主郭からの眺望

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