備前 岡山城



ファイルNo1525

烏城の異名を持つ城

                            復興天守

@ おかやまじょう 
  別名 烏城 金烏城 /旧:石山城 

A住所:岡山市北区丸の内
B目標地点:
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:公園・宅地

F遺構等:郭・石垣・水堀・現存櫓・復元門・復元天守
G時代/人物:南北朝期・戦国期/上神氏・宇喜多氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2013年07月・2016年06月 他

  

道案内 ←後楽園の駐車場の位置  ←烏城公園駐車場

山陽自動車道岡山インタを下り、国道53号線岡山バイパスを岡山市内へ向かいます。2.8km先で国道は左折します。2km先の岡山大学口の信号で国道は右折ですが、そのまま直進し県道96号線を進みます。 700m先の大和町の信号で右折します。 1.5km先の信号は直進して国道180号線に入ります。300m先の信号で左折し後楽園通りに入ります。 600m先で橋を渡り、左折し、100m先の橋の手前で右折すると後楽園の駐車場です。  
訪城備忘録

天守は戦災で燃えてしまってコンクリートの復興天守ですが、土台の石垣は宇喜多氏時代のもの。(ただ、相当にコンクリートで固められてますが・・・) 天守は歪な五角形の形をしていて、一説には安土城を模して造られたとされます。その後の池田氏時代の石垣も含めて、城内で石垣を堪能できます。石垣はどちらかと言うと慶長初期までの形式が多いのかなという感じです。中の段には月見櫓が現存しています。内堀の先、岡山市民会館近くには旧本丸と伝わる古めの石垣も存在します。また、西丸には現存の西手櫓が残ります。二の丸外下馬門石垣は時間がなくて見られませんでした。 岡山は、水戸の偕楽園、金沢の兼六園とともに三大名園と言われる後楽園があります。他の二つに比べ、起伏の少ない広大な庭園という感じです。

月見櫓
歴史

城の創建は南北朝時代に名和氏系の上神氏によって築城され、石山城と称したようです。大永年間(1521〜28年)には金光氏が居城したと史料にはあるようです。元亀元年(1560年)、金光宗高を謀殺した宇喜多直家が支配し、天正元年(1573年)に改修して亀山城から居城を移しました。天正一八年(1590年)から宇喜多秀家は57万4千石にふさわしい城に大改修を行い、8年をかけ慶長二年(1597年)に完成しました。この時に、本丸を岡山に移し、今ある天守を造営しました。岡山はこの時から使われたようです。関ヶ原の戦い後、宇喜多氏は改易となり、小早川秀秋が入封しますが、慶長七年(1602年)に死去し、断絶、その後、池田輝政の子の忠継が入るが、実務は利隆が荷ったようです。忠継の後は忠勝が継ますが、寛永九年(1632年)に忠勝の子の光仲は鳥取に転封、かわって、鳥取の池田光政(利隆の子)が31万石5千石で入封、以後、明治維新まで続きました。


旭川と岡山城天守
中の段西側石垣                    内下馬門石垣
月見櫓(現存)
  
廊下門             復元               不明門
六十一雁木上門と石段・石垣
鉄門付近                        不明門下石垣
内濠                           天守
宇喜多時代の発掘石垣                      現地説明板より
祖廟跡(伝旧本丸)石垣
西丸石垣
西丸西手櫓             現存                  月見櫓
後楽園
延養亭             後楽園            廉池軒
旭川越しに天守
西丸西手櫓
六十一雁木上門と石段
天守
天守

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