備中 成羽陣屋



ファイルNo1513


              南側石垣(立石)              

@ なりわじんや 
  別名 山崎氏館 

A住所:高梁市成羽町下原
    旧:川上郡成羽町

B目標地点:成羽美術館
C形式:平城  D比高:ーーm 
E現況:公共施設

F遺構等:郭・石垣・碑・説明板
G時代/人物:江戸期/山崎氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分
J撮影・訪問時期:2003年11月・2025年02月

  

道案内 

岡山自動車道の賀陽インタを下り、右折し国道484号線に入ります。約13km先(途中、ループ状の道を下りていきます。)の警察署北の信号で左折し国道180号線に入ります。約800m先の落合橋東で右折し国道313号線に入り、高梁川を渡ります。橋を渡ると落合橋西の信号で国道は左折です。(約300m先の左手、コンビニの隣に山中鹿之助の墓があります。) 国道を落合橋から約8.5km先の左手が成羽美術館(成羽陣屋)です。
 
訪城備忘録

陣屋は現在、成羽美術館、成羽小学校になってます。 東西で300m近くあり大きな陣屋です。小学校側に一直線の石垣と美術館側の北側、東側、南側の半分程度の石垣が残ります。 石垣は、小学校側は野面積み、美術館側は打ち込み接に近い積み方で、小学校側が水谷氏の築いた部分、美術館側の大半が山崎氏が築いた部分という事のようです。 美術館の南側の残っている石垣の中央付近も野面積みのように見えます。 大手門は往時は内枡形であったようですが、今は内側の石垣はありません。

美術館側の石垣は高いところで4m近くあり、積まれた石も大きいです。なかなか他には無い陣屋の姿です。

説明板
歴史

元和三年(1617年)、山崎家治が三万五千石で因幡若桜から入封しましたが、肥後天草に転封(後に讃岐丸亀に転封)、寛永十六年(1639年)、水谷勝隆が入封し、陣屋を築き始めましたが、寛永十九年(1642年)、備中松山に転封となり、陣屋は未完成でした。万治元年(1658年)、山崎豊治(家治の次男 長男俊家の丸亀山崎家は無嗣断絶)が五千石で入封し陣屋を完成させました。山崎氏は交代寄合として明治維新まで続きました。

御作事門       大手門
  
大手門北面西側石垣
書院跡北西角石垣
大手門
大手門北面東側石垣
南側石垣
南側石垣
南東側石垣
東側石垣
東側石垣
吉備津彦の命と温羅のオブジェ<桃太郎伝説の起源?>
御作事門北面東側石垣
御作事門と石垣
大手門内側石垣
御庫門

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