備後 山手銀山城



ファイルNo3570


               北の郭の浅い堀切と土橋             

@ やまてぎんざんじょう 
  別名:銀山城  

A住所:福山市山手町
B目標地点:俄山不動明王院
C形式:山城  D比高:200m 
E現況:山林

F遺構等:郭・畝状竪堀・堀切・土塁・石垣
G時代/人物:室町期/杉原氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  林道から比高30mで10分

J撮影・訪問時期:2019年07月

  

道案内    ←登り口

山陽自動車道福山インタを下り、国道182号線を福山市内に向かいます。約3.2km先、明神町の信号で右折し国道2号線に入ります。約11km先、津之郷橋東詰の信号で右折します。約800m先のスマートインタ入口の信号で左折し。約1.6km先で山陽自動車道のガートをくぐります。ガードからさらに約1.2km先の俄山不動明王堂を越えたところ(俄山弘法大師堂の手前)で右折し林道に入ります。約2.4km先の左手に小さな標識(城の標識ではない)があり、そこから斜面を登ります。
 
訪城備忘録

登り口から斜面を登ります。斜面の左手には畝状竪堀があるようですがよくわかりません。登りきると東の郭群です。一番上の郭に低い土塁があり、そこから四段ほど段郭があります。この東の郭群の西斜面には長い石垣が残ります。(この石垣のさらに下の斜面にも石垣が残るようですが見てません) この西側尾根が主要部がありますが、この東の郭群と主要部の間に五条ほどの畝状竪堀が残ります。この畝堀はわりと明瞭です。主要部の斜面を登っていくと南端の郭ですが虎口が残ります。ここから北の主郭へ向かって三段の段郭です。主郭はその下の段郭にやや張り出し郭があり、左手側に大石があったりで虎口になっていたようです。主郭は南北に長く大きな主郭です。やや東に曲がったくの字の郭です。主郭の周囲は急斜面で、北西側のみ下りられる感じでその先に北の郭があります。この北の郭の手前に浅い堀切ですが、わりと明瞭な土橋が残っていました。主要部南端の郭の西斜面、主郭の北東斜面にも畝堀が残るようですが、夏場ということもあり、見てません。この城、谷間の畝状竪堀と石垣だけでも見る価値はあります。

登り口
歴史

築城時期、築城者は定かでは無いようですが、応永年間(1394〜1427年)に鷲尾山城(尾道市)の木梨杉原氏の一族によって築城されたとされます。戦国期、山手杉原氏は山名氏から大内氏に属し、天文七年(1538年)に杉原盛重は大内義隆の命で神辺城を攻めました。盛重は大内氏から尼子氏に転じ、その後は毛利氏に従いました。廃城については、天正十九年(1591年)と考えられます。

東の郭の石垣      主郭
東の郭の石垣
主郭東下の畝状竪堀を東の郭側から
東の郭からの眺望
  
東の段郭の切岸
東の段郭を横から
畝状竪堀
東の段郭石垣
畝状竪堀を上から
主郭主要部の東下城道    主要部南端の虎口
        主要部段郭と切岸     主要部南端虎口を内側から
主郭下郭
北の郭と浅い堀切と土橋

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