安芸 吉川元春館



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                     東側の長い石垣             

@ きっかわともはるやかた 
  別名  

A住所:広島県山県郡北広島町海応寺
    旧:山県郡豊平町

B目標地点:
C形式:平城  D比高:ーーm 
E現況:史跡公園

F遺構等:郭・石垣・堀・庭園・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/吉川氏
H満足度: 凸凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  ガイダンス施設「戦国の庭歴史館」から5分

J撮影・訪問時期:2018年12月

  

道案内 

中国自動車道、千代田インタを下り、千代田インタ前を左折し県道5号線に入ります。約600m先の八重バイパス中の信号を右折し国道261号線に入ります。約6km先、蔵迫中央の信号で左折し国道433号線(石見街道)に入ります。約6km先左手、志路原川を越えたところが館跡です。「戦国の庭歴史館」前に駐車場があります。
 
訪城備忘録

あいにくの小雨でしたが、念願の石垣が見られたという感じです。館の石垣は「石つきの之ものとも」と呼ばれた特殊な石工集団で築かれたもので、長い石を等間隔で立石に立て、さらに、立石間は長い石を横に積み上げながら、一部は牛蒡積みのように奥へ突っ込むというような積み方がされています。この積み方は厳島神社の参道の海沿いにもみられるそうです。石垣は約80mあり、南側に幅約8mの虎口があります。館内は広大な敷地で建物跡の礎石が並びます。南側に台所の建物が復元され、その南側に空堀が東西に横たわります。館西側の中腹には元春、元長の廟所もあります。隠居館とは言え、威風堂々とした佇まいです。

城址碑
歴史

天正十一年(1583年)、吉川元春が自らの隠居館として築城を開始し、築城半ばで館に入りました。天正十四年(1586年)、元春は九州小倉城で病死し、翌年には嫡男の元長も病死、館は広家の手により完成しました。天正十九年(1591年)、広家が月山富田城に転封し、廃城になりました。

殿舎礎石        庭園
東側石垣
現地説明板より
  
北側石切場     北側切岸状斜面
東側石垣
虎口石垣
石垣を内側から
馬小屋付近     石組水路
常御所礎石    水路石組暗渠
空堀
石垣
石垣(中央立石)
石垣
石垣(中央立石)
石垣

近くの城・関連の城:日山(日野山)城 駿河丸城