道案内 |
浜田自動車道の大朝インタを下り、大朝インター前の信号を直進して国道261号線に入ります。約1.6km先で右折します。(角に案内標識あり) 約600m先、右手に大きな駐車場からあり、そこから登城口があります。
なお、大朝インター前の信号を右折し国道261号線を南下、約5km先が日山城への入口です。
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訪城備忘録 |
駐車場の案内板の背後に登城口の石碑と説明板があります。右手に延びる小道を進むと二の丸に至ります。三日月の土塁がある郭です。二の丸手前の右手に竪堀のような窪地が二条ありましたが、遺構だろうか? 二の丸を過ぎて坂虎口土橋になってるようなスロープを比高で10mほど下りたところに御座所と呼ばれる広い郭があります。 郭は北側の二の丸側と本丸の頂に囲まれた窪地で南西側に二段になっていてその先は大きな堀切になってます。御座所は本当に広くて中央に井戸が残ります。スロープを戻って途中から右手に登ると本丸です。ここも二段に分かれており、段差(切岸)面に石積みが残ってます。主郭下の西側に副郭があり、そこを北側に回り込むと三の丸で繋がる段郭です。戻り主郭下の南東側の郭には建物の礎石が残ります。この日、午前中、日山城に訪城時はまだ曇りだったんですが、小倉山城に来たときはけっこう本降りでした。もう少し突っ込んで見たかったんですが、雨で気がそがれてしまいました。
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登城口の石碑と説明板
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築城時期は定かではないものの南北朝期に吉川経見が築き、駿河丸城から移ったとされます。天文十九年(1550年)、吉川元春が日山城を築き移りました。
吉川氏
吉川経義を初代とし、五代目の経高が安芸に下向し駿河丸城を築き、安芸吉川氏の初代となります。経高後、経盛ー経秋ー経見と続き、経見が小倉山城に本拠を移します。その後は之経ー経基(鬼吉川と称される)-国経ー興経(毛利元就によって殺害)-元春(元就次男・興経の外孫)と続き、元春は日山城を築き本拠を移します。元春の後は元長ー広家となり、広家は月山富田城に移封となって安芸を離れ、関ケ原の戦いで西軍が破れ、毛利氏は防長二国に減封となったため、広家は岩国に入り、以後、江戸期を通じて岩国が吉川氏の本拠となります。
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