備後 比叡尾山城



ファイルNo3503


              大堀切              

@ ひえびやまじょう 
  別名 畠敷本城 比海老城 

A住所:三次市畠敷町〜後山町
B目標地点:岩屋寺
C形式:山城  D比高:220m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・堀・土塁・石垣?・説明板
G時代/人物:鎌倉期/三吉氏(藤原氏)
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  登城口から10分(比高50m)

J撮影・訪問時期:2018年12月

  

道案内 ←林道登城口   ←城跡

中国自動車道三次東ジャンクションから松江自動車道に入ってすぐの三次東インタを下り、信号を右折し県道434号線に入ります。約2.2km先の岩屋寺口のバス停手前で右折します。右折する手前約200m右手が井上土居屋敷です。右折し、約200m先で左折、約100m先のY字を左手に行きます。 約100m先のY字を右手に進み、約300m先の岩屋寺前で左折し林道に入ります。細い林道をつづら道状態で登って行きます。麓から約3kmほどで上の岩屋寺との分岐点です。この付近の左側に駐車場があり、ここから登城口までは約600mほど歩きます。(駐車場から登城口までの道は林道の路肩が倒壊してました)

訪城備忘録

登城口は池の横にあり、林道からいったん降りてまた山に登る所です。登り始めてすぐに郭があります。土塁を伴う郭です。この左手は屋敷跡です。そのまま上に登ると最初の堀切です。やや右手方向に進むと西尾根の遺構です。横堀竪堀が交差していてなんか不思議な遺構でした。その上が北の郭です。主郭群を西から北側へU時に近い形で廻っています。相当に広い郭で主郭はその上切岸も高いです。主郭には東側から登りますが。北の郭の東側には石積み痕跡が散乱してました。主郭虎口は石段になっていて両サイドには石積みらしき痕跡もあります。主郭は北側から西側にかけてわりと高い土塁が巡ってます。郭も広いです。その南側、7mの切岸下に二の郭、さらに下に三の郭と続きます。三の郭の西側にも土塁が横たわります。三の郭は二段でその先からまた急な斜面を下りると南の郭です。三の郭下と南の郭の間には大堀切が横たわってます。南の郭は丸い郭で北側(堀切側)に大土塁が三日月状にあります。南側に改変はあるかもしれませんが平坂虎口になってました。二の郭まで戻り、東側に降りていくとよくわからんですが複数の竪堀と大きな竪堀があります。支尾根には小郭群もありますが、行きませんでした。斜面の道を北側に進むと石組の窪地、屋敷跡、屋敷跡石垣があります。その先で最初の登り口に戻ります。屋敷の石垣、石組は往時の遺構には見えなかったです。

本丸説明板
歴史

建久三年(1192年)、佐々木秀綱が地頭として下向しこの城を築いたともされますが、承久の乱<承久三年(1221年)>後に藤原兼範が近江より下向しここを築いたとされます。二代兼定が三吉氏を名乗ったとされます。以後、十五代の居城となりましたが、戦国期に入り、尼子氏、大内氏、毛利氏の中で生き残りのため主家を頻繁に変えます。十三代致高は尼子氏に、十四代隆亮の頃には毛利氏に従ったようです。十五代広高は天正十九年(1591年)に比熊山城を築いて移ったとされます。

北の郭西側尾根土塁の石積み?     主郭土塁      
大堀切
現地説明板より
城跡遠景
城跡よりの眺望
  
北の郭下最初の郭    北の郭下郭土塁
北の郭手前下堀切     北の郭西側尾根の堀
北の郭西側尾根の堀
北の郭西側尾根の堀と土塁
北の郭西側尾根の竪堀を下りた中腹の横堀    竪堀      
北の郭
北の郭東側石積み
主郭虎口石段     主郭と土塁
主郭と土塁     主郭と二の郭の切岸
三の郭土塁      南の郭
大堀切
南の郭の大土塁
南の郭の虎口?      主郭東側下斜面竪堀
北の郭北東下        石組
屋敷石垣(往時のものかは?)

近くの城・関連の城:

          

井上氏土居屋敷 3502
土塁
@ いのうえしどいやしき
   

A住所:三次市畠敷町
B目標地点:岩屋寺
C形式:平城  D比高:ーーm 
E現況:宅地・墓地・田畑

F遺構等:土塁
G時代/人物:戦国期/井上氏
H満足度:
凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分


J撮影・訪問時期:2018年12月

三吉氏(隆亮)の家老の井上佐渡守高重の屋敷と伝わります。比叡尾山城の南麓に所在します。成立は天文年間と思われます。高重ー高令ー高房と続き、高房の代に関ケ原の戦いで毛利氏は防長移封となったため、長門に移住したとされます。現在は北側の土塁が残るのみですが、往時は四方を土塁が巡り、堀が巡っていたようです。