安芸 椋梨城



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                    後方から城跡              

@ むくなしじょう 
  別名:堀城  

A住所:三原市大和町椋梨
    旧:賀茂郡大和町

B目標地点:
C形式:丘城  D比高:15m 
E現況:山林

F遺構等:郭・土塁・堀・碑・説明板
G時代/人物:鎌倉期/小早川氏?・椋梨氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2018年12月

  

道案内 

山陽自動車道の河内インタで下り、800m先の河内インタ入口の信号を左折し国道432号線に入ります。約28km先の和木の信号で斜め左へ国道486号線に入ります。約3km先の左手が城跡です。 (あるいは、山陽自動車道の三原久井インタで下り、国道486号線に入ります。約20km先が和木の信号です。) 

訪城備忘録

国道から遠望すると綺麗な形をし、スクッと佇んでいる城跡です。 後方の山からの派生尾根の先端を分断したような感じに残る独立丘のところを主郭とし、北側麓側に複数の郭がある感じです。まら、東西側にも屋敷地があったんでしょうね。 城跡東西直下には深い横堀があります。主郭内は南側に土塁があり、城址碑が立ってます。朝早い時間に行った事、冬の快晴だった事もあり、大変気持ちの良い城跡でした。

土塁の上の城址碑
歴史

築城時期は定かではないです。鎌倉初期、土肥実平の子の遠平が小早川を名乗り、遠平の養子の景平が安芸に入りました。建永元年(1206年)頃、景平が領地を子に分与し、次男の季平が沼田新庄を分与され、季平の子の国平が当地に入り椋梨氏を名乗ったとされます。慶長五年(1600年)の関ケ原の戦い後、毛利氏は防長2国に減封され、十三代景良は毛利氏に従って萩へ移ったため、廃城になりました。

主郭内      北側麓から
国道から遠望
  
現地説明板より
後方から城跡全景
堀跡

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