備後 | 鞆城 |
ファイルNo3026 |
足利義昭が京都追放後に住した場所
@ ともじょう |
大加島城 3027 |
@ おおがしまじょう 別名 A住所:福山市鞆町鞆 B目標地点:円福寺 C形式:丘城 D比高:20m E現況:寺 F遺構等:郭・説明板 G時代/人物:南北朝期/桑原氏 H満足度: 凸 I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間: 10分 J撮影・訪問時期:2015年11月 |
鞆港(バス停)のところから東南側約200mの丘の上にある円福寺が城跡とされます。本堂前に説明板があるのみです。 猫が非常に多く、お昼寝をしてました。 この地は慶長年間(1600年頃〜)に鞆城築城とともに埋め立てられ、それまでは島であったと伝わります。城は南北朝期の康永元年(1342年)岡部出羽守が築城したという伝承があるようです。 南朝側の伊予衆が伊予に戻り、残った桑原伊賀守重信らも北朝方に攻められ桑原一族は全滅したとされます。貞和五年(1349年)、足利尊氏の弟の直冬が半年滞在したとされます。 その後は因島村上水軍の拠点のひとつであったようです。 福禅寺の対潮楼は元禄七年(1694年)に客殿として建てられたもので、朝鮮通信使の迎賓館として使われたものです。 |
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