安芸/ 広島城



ファイルNo1595


                            内堀越しの天守

@ ひろしまじょう 
  別名 鯉城、当麻城・在間城 

A住所:広島市中区基町
B目標地点:
C形式:平城  D比高:ーーm 
E現況:公園・官公庁・市街地

F遺構等:郭・石垣・水堀・復元天守・復元門・
     復元櫓・碑・説明板

G時代/人物:戦国期/毛利氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  広島城南の信号の駐車場から15分

J撮影・訪問時期:2006年10月・2015年05月

  

道案内 

山陽自動車道広島東インターから広島高速道1号線に東雲インターを下り、国道2号線に入ります。6km先、広島市役所前の信号で右折します。2.5km先正面が広島城です。

 
訪城記録

名古屋城、岡山城とともに日本三大平城らしいです。中堀、外堀も昭和30年代まで残っていたようですが、今は内堀内のみです。内堀内の石塁は残り、天守が復元され、表御門、二の丸平櫓、多門櫓、太鼓櫓が木造で復元されています。

裏御門の城址碑
歴史

毛利輝元は120万石の居城として、天正十七年(1589年)に築城を開始し、慶長四年(1599年)に完成したとされます。輝元は天正十九年(1581年)には吉田郡山城から移っていました。慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍の総大将であった事から、周防・長門に減封となり、萩に移り、変わって、福島政則が49万石で入城し、城を改修しました。元和五年(1619年)、政則は洪水で壊れた石垣を幕府の許可なく修理したとして改易され、同年、浅野長晟が紀州より42万石で入城し明治維新まで浅野氏の居城となりました。、明治維新以後、軍の施設などになりましたが、天守、中御門、表御門、二の丸の平櫓、多聞櫓、太鼓櫓などが現存していましたが、昭和二十年(1945年)8月の原爆で破壊されました。昭和三十三年(1958年)に外見復元天守が完成しました。



復元天守と石垣
中御門石垣                           ーー

  
復元天守
内堀
二の丸復元建物
太鼓櫓
表御門                            多門櫓

   
外堀石垣(移築)                暗渠跡
広島大本営跡                  石垣の「天」の刻紋

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