道案内 ←登城口 |
中央自動車道河口湖線の都留インタを下り、県道705号線を都留市内に向います。500m先の寿町交差点の信号で右折し都留市駅前を過ぎて中央1丁目の信号で国道139号線に合流します。道なりに800m進み市役所入口の信号で右折します。250m先谷村第一小学校前のT字で左折し県道705号線に入ります。(谷村第一小学校は谷村城跡で、手前右の裁判所は谷村陣屋跡です)800m先右角に小公園のある箇所で右折すると正面が谷村町駅です。駅ロータリー左手に細い道があり、線路沿いを進みます。100m先で富士急大月線の踏み切りを渡ります。250m先で桂川を渡り、200m先の二又を直進します。L字に細い道を200mほど進むと公衆トイレと3台ほど駐車可能な城跡登城口です。
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訪城備忘録 |
登城口には薄くなった縄張り図が描かれた案内板があります。そこから登り出すとすぐに左側に空堀が見えます。この空堀は城域の西側を覆うようにありますが、訪城が夕方であったため入口のみであきらめました。さらに遊歩道を登ると川棚見張り台を越え、三の郭、二の郭、主郭と続きます。二の郭、主郭手前、帯郭の斜面には石垣の痕跡が認められます。この辺からの富士山の眺めもなかなか綺麗でした。主郭は櫓台跡に東照宮が建っています。主郭の大きさは1辺50m以上ありなかなかの広さです。主郭東側尾根にはいくつかの段郭が続き煙硝蔵の郭、北側の尾根にはこの城唯一の堀切・竪堀があり、その先には茶壷蔵があります。主郭北側斜面には大規模な石垣も残っています。主郭西斜面にも石垣の痕跡がありますが、相当に崩壊していました。縄張り的には戦国的ですが、郭の大きさ、石垣、主要部に入ってくる虎口は枡形と要所要所に戦国末期の改修が見られます。
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登城口の説明板
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通説では浅野長政の家老で浅野氏重によって文禄三年(1594年)に築城したとされますが、小山田氏が金井館から天文元年(1532年)に谷村城の居館を移した際に詰め城として築城されたよ考えられるようになりました。江戸時代になって宇治から江戸に運ばれた将軍家献上用のお茶壺を夏季の間、保管した茶蔵が設けられていた伝えられています。宝永元年(1704年)に谷村藩主の秋元氏が川越へ転封となり勝山城は廃城になったとされています。
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