甲斐 岩殿山城



ファイルNo2478

          馬場   

@ いわどのやまじょう 
  別名 岩殿城 

A住所:大月市賑岡町岩殿
B目標地点:
C形式:山城  D比高:260m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・井戸・説明板
G時代/人物:戦国期/小山田氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  40分

J撮影・訪問時期:2010年11月

  

道案内 

中央自動車道の大月インタを下り、国道20号線を大月市内へ向います。大月橋東詰を直進し大月市街地に入ります。1.4km先、高月橋入口の信号を左折し国道139号線に入ります。700m先、桂川を渡った左手に登山用の駐車場があります。
 
訪城備忘録

駐車場から国道をさらに200mほど歩くと岩殿山登山口があります。ここから丸山公園までまずは登ります。公園には櫓風の資料館があり、パンフなどもいただけます。ここから比高200mのどの登りです。道は階段、手すりなど設置され整備されていますが、逆に階段が足にこたえる・・・。途中、巨大な岩の斜面を見ながら登ります。尾根近くに楊城戸と呼ばれる巨石に挟まれた城門跡を抜けます。尾根に登ると西側(左手)は西の物見台、右手が主要部方向になります。右手を進むとすぐに展望台です。ここからは周囲の山々と富士山が望め、直下には桂川と中央自動車道が見えます。さらに東に行くと、馬場と呼ばれる平坦地がありますが、ここは城内では最大の平坦地で山頂の居住空間であったと思われます。ここの南下には亀ケ池、馬洗池と呼ばれる井戸が二つ並んで残っています。さらに東へ登りますと倉屋敷(二の郭)、主郭となります。主郭にはアンテナ設備があって遺構らしくはありません。主郭の東下にはわりと明瞭な堀切が残っています。この堀切のさらに東にも郭、堀切があるようですが、藪がきついのであきらめました。倉屋敷の北側斜面にも竪堀の遺構があるようですが、こちらも草木がすごく見学は不能でした。遺構的には物足らないが正直な感想ですが、眺望はすばらしい城跡です。

山斜面の岩盤
歴史

築城時期には諸説あるようですが、永正十年(1510)〜大永七年(1527年)頃、あるいは、享禄年間、天文年間初期(1530〜32年頃)に小山田信有(越中守、子の出羽守)が築城したとされます。天正十年(1582年)、小山田信茂は、織田信長の甲斐侵攻の際、武田勝頼を裏切り、勝頼は天目山で自刀し武田氏は滅亡、信茂は信長に許されず善光寺で処刑され小山田氏も滅亡しました。城は本城としての機能はなくなりましたが、要害として江戸期も保全されたようです。

  揚城戸       主郭の東下の堀切
現地案内板より    城跡遠望
中腹より山頂を見る     丸山公園より山頂
丸山公園
丸山公園       揚城戸上の番所
西の物見郭
  馬屋郭    展望台(櫓台)
馬場(居住地区と思われます)          井戸       
倉屋敷(二の郭)      主郭
主郭東下堀切
  
   相模方面眺望     直下(桂川と中央自動車道)
富士山遠望

近くの城・関連の城: