甲斐 本栖城



ファイルNo2426

本栖湖岸、青木の樹海にある武田の城

                        堀切    

@ もとすじょう 
  別名 

A住所:南都留郡富士河口湖町本栖
       旧:西八代郡上九一色村
B目標地点:本栖湖・(元)上九一色中学
C形式:山城  D比高:140m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・土塁・石垣・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/武田氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分
J撮影・訪問時期:2010年04月

  

道案内 ←登城口 城跡は城山

東名高速道の御殿場インタを下り、国道138号線を山中湖方面に進みます。15km先、須走インタから東富士五湖道路で河口湖へ進みます。27km先、富士吉田インタで下り、県道707号線から国道139号線に入ります。スバル立体の信号から25km先、県道359号線との分岐の赤池の信号を越え、赤池の信号から4km先の(元)上九一色中学入口の点滅信号で右折します。(元)中学校の100m手前の路地に車を停めさせていただき、(元)中学の門の右手へ森の道を進みます。500mほど進んだ国道脇の登城口から登ります。(登城口は国道の脇<尾根の先端が国道と接するところ>にありますが、国道沿いに駐車は難しいので(元)中学校そばに駐車した方が無難です) ※:上九一色中学は2011年廃校になってます。
 
訪城備忘録

まずは尾根まで比高100mほどをつづら道をいっきに登ります。尾根道をしばらく行くといったん下り、再び登りになる箇所に二重の堀切があります。小型の堀切ですが残存度はいい感じです。さらに上には岩盤を削った大きな堀切があり、両サイドは急な崖に竪堀があります。さらにを登るとわりと広い平坦地にでます。二の郭相当でしょうか。ここから本栖湖が見えました。さらに登ると主郭なんですが、主郭までの斜面に溶岩で積まれた石垣がわりと規模の大きな状態で残っています。石垣は崖の斜面に良好に残っているため、とても正面から見るには危なくて近づけません。主郭は長さ50mほどあるでしょうか、思った以上に広いという印象です。ここからは青木樹海越しに富士山が見えます。主郭の北側下には出張りのような腰郭が明瞭に残っていますが、主郭との高低差もあり斜面の急で近づけなかったです。さらに主郭を下りて行くと「信玄ののろし台」と呼ばれる箇所に至ります。この先は10m以上の高低差のある大きな堀切になってます。所々に溶岩の石垣が残り、遺構は良好です。麓の国道、中学校への道とは反対側の森の中に防備上の石垣列が残っています。この石垣も当然溶岩の石垣で、苔むしていて、青木ケ原に横たわっているという感じ、雰囲気は少し異様です。

登り口の説明板
歴史

築城時期は定かではないようです。説明板には「源吉春の城という伝承があると書かれてあり、また、天文・永禄年間(1532〜70年)には武田氏の監視の城と記録があり、さらに、天正十年(1582年)、武田氏滅亡後の天正・壬午の乱では渡辺囚獄佑之が守った」とありました。本栖城下は古来<源平の戦い以降のよう>より中道街道が軍用道路として整備されていたようです。この街道の監視・防備のための麓の石塁あるいは本栖城であるようです。
のろし台と石垣              堀切(上から)
主郭より富士山               本栖湖遠望
最初の二重堀切
岩場の堀切
二の郭             斜面の石垣
主郭
麓の石塁(信玄の石塁)

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