道案内 ←中腹の登り口 |
中央自動車道の甲府南インタを下り、甲府南インタ口の信号を左折し国道358号線に入ります。14km先が甲府駅前です。手前の甲府警察署前の信号で右折し、150m先の甲府警察署東の信号で左折し県道31号線に入ります。右手甲府城を見ながら中央本線の陸橋を越えると山梨文化会館前の信号を左折し、100m先の甲府駅北口の信号を右折し県道31号線(武田通り)に入ります。700m先が武田の信号で左折し県道6号線(山の手通り)に入ります。2.8km先の路地に<北部市民センター前の信号の100m手前>右折します。道なりに進むと山の斜面の住宅団地に入ります。(この住宅団地、造成はされていますが、上の方にはほとんど家が建っていません) ここを登り、途中鋭角に曲がってさらに登って団地の一番上まで行きます。そこから小道を鉄塔を目指します。途中小さな古墳があります。鉄塔からさらに進むとスポーツ公園からの遊歩道にぶつかりますのでここを登ります。尾根の鞍部に達すると模擬のろし台があり、左手に登ると城跡です。麓から登る場合はスポーツ公園の球技場の裏手から登ります。(スポーツ公園には県道6号線の総合グランド入口の信号を右折し県道111号線に入り600m先左手です)
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訪城備忘録 |
湯村温泉背後の山の尾根先端にある城です。湯村温泉は相当に古い(808年)時代から発見されていたようで、城が出来る前から温泉は存在したようです。信玄の時代には信玄の隠れ湯のひとつでもあったようですね。さて城跡ですが、尾根の鞍部の模擬のろし台からなだらかな坂道を登りきると城跡です。まずは尾根を遮断する堀切が横たわります。その先が大きな卵形の主郭で、周囲を土塁が巡り、中央で仕切り土塁の感じで区切られています。ところどころに石垣も残存しています。主郭内には井戸も残っていました。主郭の南下斜面には帯郭が、西斜面には堀状の遺構があり、南東端は登城道から虎口になっているような感じです。堀状の遺構には石垣の残存も認められます。これは堀というより通路になってたのかな。あまり期待しないで行ったんですが、それなりに遺構が残っていて、甲府を武田氏の支城群のひとつですし、訪城の価値はあります。
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模擬櫓
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武田信虎が永正十六年(1519年)に躑躅ケ崎館を築き、石和より移り、翌年に要害山城を築いたのに続いて大永三年(1523年)にこの城を築きました。この築城は駒井高白斎の「高白斎日記」に書かれているためはっきりしているものです。ただ、その前に逸見氏、あるいは、武田信昌が築いたという説もあるようです。
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