甲斐 扇子平山城



ファイルNo2395

城史が謎な甘利氏の城

                         主郭背後の大きな堀切     

@ せんすだいらさんじょう 
  別名 

A住所:韮崎市旭町上条中割
B目標地点:御坊沢
C形式:山城  D比高:150m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・土塁・碑・説明板
G時代/人物:鎌倉期?/甘利氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  ゲートから20分

J撮影・訪問時期:2010年02月

  

道案内 

中央自動車道の韮崎インタを下り、左折し県道27号線を進みます。1.5km先東中学校前の信号を直進して国道141号線に入ります。1300m先が七里岩トンネルで、東中学校前の信号から1.2km先が一ツ谷の信号で、ここを右折し国道20号線に入ります。800m先、韮崎市役所前の武田橋北詰の信号で右折し県道602号線に入り武田橋で釜無川を渡ります。橋を渡ると武田橋西詰の信号で県道は右折ですがそのまま直進します。1.2km先の神山町の信号で左折し県道12号線に入ります。2km先右手が大輪寺です。ここに右折し、寺前の細い道を進みます。左折、右折、左折、右折と細い道を道なりに500mほど進みますとT字にぶつかります。これはバス通りです。右折し、50m先を左折します。左折角に「扇子平」の案内が有ります。1km先まで細い道が山へと続いていますので突き当りまで進みます。突き当りには獣よけのフェンスがありそこを入ります。城跡は目の前の尾根です。フェンスを入ると右手に道が続いており、「扇子平」の標識が有ります。300mほど進むと道がY字になりここを斜め左に進みます。左手の御坊沢沿いに進み砂防ダムを越えて三の堀切下への道があるようです。しかし、これは分かりにくい(堀切がらでも道がよく分からなかったです)ため、フェンス前の尾根先端から登った方が分かりいいです。
 
訪城記録

やってしまったです。何年に一度はやってしまうんですが、城がある山・尾根とは違う山にひたすら登ってしまったです。思い込みもあるんですな。おまけに今回は2度直登を試みて(違う山に)途中で登ることができないくらい急斜面になって断念、降りるのもお尻でズリ降りる始末。これを2回もしてしまった挙句、その別の山をどんどん登る羽目に・・。たぶん旭山の近くまで登ったんだろな・・3時間近く山を彷徨いました。おかげで?、城のある尾根を横から見ることができました(笑)。さて、前置きが長くなりましたが、城跡ですが、道案内の通りゲート前から山に入るとすぐに小さな水路があります。山に取り付いて急坂を60mほど登り、緩斜面の尾根をしばらく進み、再度、急斜面を50mほど登ると燈火台です。燈火台から細尾根を越えて、少し登ると三の堀切です。この堀切はわりとしっかり残っていました。そこからまた登ると左手に三の郭です。削平は甘いですがけっこう広い空間で三段になっています。斜面を登ると二の郭ですが、これも削平は甘いものです。二の郭の背後には二の堀切がありますが、これは不明瞭でした。最後の斜面を登ると主郭です。細長い郭で西側にL字の土塁が残っています。削平もしっかりしていました。主郭背後には大きく明瞭な一の堀切があります。これは本当に明瞭です。主郭には城址碑も建てられ、各所に案内標識が設置して有ります。城跡としてはそう技巧的な城というわけではありませんが、山を間違えたせいもあり、プチ冒険という感じでした。城史のはっきりしない城跡でありますが、主郭及び背後の堀切は城郭としてはっきりしたものでありますが、二の郭、三の郭は不明瞭ですが、鎌倉初期の遺構ではないでしょうね。なお、この地域は熊の生息地ですので、熊の活動期の訪城には充分注意ください。

城址碑
歴史

甘利氏は武田信義の嫡男の一条忠頼の次男の行忠が甘利荘に入り甘利氏を名乗ったとされ、現在の大輪寺の場所に居館を構え、詰め城として扇子平山城を築いたとされますが、史料には甘利左衛門尉の烽火台という記述があるだけで城史としては詳しくはわからないようです。


三の堀切                 主郭土塁

  隣の嶺から城址の尾根遠望          麓から城址遠望(左手前の尾根)
  燈火台                三の堀切(横から)
三の郭                    二の郭
二の堀切                 主郭土塁

  
城址尾根越しの富士山                 城址麓から    

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