甲斐 御坂城



ファイルNo2166

長大な横堀が圧巻。 高標高にある本格的な山城

              長大な横堀  

@ みさかじょう 
A住所:南都留郡富士河口湖町河口
      〜笛吹市御坂町上黒駒
    旧:南都留郡河口湖町〜東八代郡御坂町

B目標地点:御坂峠・御坂トンネル・天下茶屋・黒岳
C形式:山城  D比高:500m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・堀切・竪堀・土塁・説明板
G時代/人物:戦国期/北条氏
H満足度: 凸凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
 天下茶屋から80分
 <比高230mのアップダウン>


J撮影・訪問時期:2009年06月

  

道案内 ←城跡 ←天下茶屋前登山口

東名高速道の御殿場インタを下り、国道138号線を山中湖方面に進みます。15km先、須走インタから東富士五湖道路で河口湖へ進みます。27km先、富士吉田インタで下り、県道707号線から国道139号線に入ります。700m先のスバル立体の信号を越え、さらに1.7km先の東恋路の信号を右折し県道707号線に入ります。3km先で河口湖大橋を通過します。河口湖大橋を通過し河口湖大橋北の信号で国道137号線に入ります。8.5km先(信号から3kmを越えると山道になります)、御坂トンネル手前で右折し旧道を登ります。<御坂トンネルの脇には御坂峠への登山道口もあります> 旧道を6kmほど登ると天下茶屋前に至ります。ここより登ります。
 
訪城備忘録

天下茶屋の前から尾根に向って150mほど登ります。尾根から御坂山を経由して御坂峠に向います。御坂峠を含む南北の尾根上に遺構が広がっています。最初の尾根に登ってから5kmほど歩くんだろうか。御坂山のピークを含めて大きなピークを三つは越えた感じで、時間にして1時間半の道のりです。最後のピークを登ると北域の堀切に至ります。

このピークの平坦地東西の斜面にも横堀が残っていますが西側の斜面は二重でしかも堀で囲まれた郭があります。馬出し?? 北域から御坂峠への下り斜面はほぼ自然地形で郭のようにはなっていません。東西の堅固な堀とは対照的で、これもこの城が短期間しか使われなかったため、築城途中のためなんでしょうか? 峠手前の平坦地には西の斜面の堀が廻り込んできて堀切状になっています。峠には廃屋となった峠の茶屋がポツンと建っています。これから黒岳側の南の斜面上に遺構が展開しています。

茶屋のすぐ裏手の一段高くなったところが主郭のようで、四方を堀が巡ります。特に東側は三日月堀?らしい。ここの最大の見所は南域西側に横たわる長大な横堀です。尾根上にここまで深くて幅のある横堀が必要か?と思わせるくらい大きな横堀で、南域のピーク下まで続いています。どなたか言っておられましたが、確かに丸子城(静岡)の尾根の横堀にも構造的には似てるかもしれんですね。主郭の背後にあまり整地がされていない平坦郭が続き、その後、黒岳に向って登っていったピークにも土塁が三日月状に残る郭が存在し、その外側に堀切と土橋が残ります。峠を中心とした鞍部に主郭があり、南北のピークに砦のような郭を配し、堀はそごい遺構なのに比べ、主郭以外の郭は貧弱というか未完成のような、変わった城でした。

御坂峠の道標
歴史

築城時期、築城者は不明ですが、武田氏のなんらかの城はあったようです。天正十年(1582年)に織田信長が武田勝頼を自刀に追い込んで武田氏を滅ぼし、その信長も本能寺の変で倒れると、北条氏直と徳川家康は武田旧領の領有を巡り争い、北条氏はこの城を修築し北条左衛門佐氏忠が守将となったとされます。しかし、北条徳川が和睦と成り、城はそのまま廃城になりました。
長大な横堀
  現地案内板より                 尾根上から河口湖を望む  
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御坂城北域遠望(後方黒岳)<尾根筋より>          旧峠の茶屋      

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