武蔵 浄福寺城
(由井城)



ファイルNo2593

東京にもある戦国の荒々しい遺構が残る城跡

       多重堀切  

@ じょうふくじじょう 
  別名 由井城 新城 松竹城 

A住所:八王子市下恩方町
B目標地点:浄福寺・恩方第一小学校
C形式:山城  D比高:180m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・土塁・竪堀・説明板
G時代/人物:室町期/大石氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  浄福寺より20分

J撮影・訪問時期:2011年01月.03月

  

道案内 

中央自動車道の八王子インタを下り、国道16号線旧道を八王子市内に向かいます。2.5km先の八幡町の信号で右折し国道20号線に入ります。5.6km先、高尾駅手前の町田街道入口の信号で右折し、さらに700m先の多摩森林科学園前の信号で右折し46号線(高尾街道)に入ります。1.1km先の城山大橋の信号で斜め左に入り、61号線に入ります。3.5km先の川原宿の信号で左折し521号線(陣馬街道)に入ります。1.4km先で圏央道をくぐると100m先右手が浄福寺です。
 
訪城備忘録

浄福寺の脇の新城登り口の案内板から墓地を通り、祠の前を通って山道に入ります。この登り尾根ですが、急坂で落ち葉が多く滑りやすくて登りにくいです。しかし、この尾根上にも小郭、虎口形状、堀切などが認められおもしろいです。中腹のお堂から比高70mほどで主郭です。主郭下の三日月状の削平地から左に廻り込んで直角に右の坂を登って虎口があり、その先に主郭という構造が明瞭に残ります。主郭は細長い平坦地と一段高い櫓台がありました。寺から主郭まで南から登ってきたわけですが、主郭東側の尾根上に遺構が展開しています。主郭から東の尾根に下りるのは比高30mほど急な斜面を降りる感じです。降りたところに明瞭な堀切があります。その先の尾根にはL字の郭があり、それから二重堀切が続きます。なかなか見事に残ってます。城域はこのまま北の尾根とL字郭から伸び南の支尾根に展開しています。支尾根にも郭、堀切が残りますが、途中、圏央道のトンネルの上を過ぎて暫く行った最後の堀切の先で道が無くなってしまうので注意です。実は訪城が夕方で、支尾根の先端で日没になってしまい、道に迷い、山の斜面をお尻でズルズルすべりながら下りてきてしまったです。遭難寸前でした。^^;

2011年03月再訪
前回行ってなかった北側の郭と支尾根の遺構を再度見に行きました。北尾根はピークの三日月状の土塁を伴う小郭の先にまた二重堀切がありました。その斜面には畝状竪堀と思われる連続の窪みがありました。支尾根については前回は日没になってしまいましたので、ほとんど見られませんでしたが、堀切が数条確認でき、圏央道のトンネルの上を越えたくらいのところにわりと広い平坦地があり、大きな平(坂)虎口のように道が下っています。ここを下りて行き、麓近くで道がわかりにくくはなりますが、小学校裏手の住宅街の奥にある墓地のところに出ました。尾根上に良好な遺構が残っていて、見応えのある山城です。

 
浄福寺
歴史

至徳元年(1384年)に大石信重が築城したとされます。その後八王子城の支城となり、天正十八年(1590年)に豊臣秀吉の小田原北条氏攻め際に八王子城とともに落城したとされます。

追加写真のページへ⇒⇒☆☆☆
主郭坂虎口      主郭と櫓台
現地案内板より
  
中腹のお堂         急坂の登り尾根道
登り尾根上の堀切        登り尾根上の虎口形状
登り尾根主郭手前      主郭下郭
主郭      主郭土塁
主郭東下堀切     尾根上L字の郭
堀切
堀切と竪堀
支尾根の郭
支尾根先端の堀切

近くの城・関連の城: