武蔵 志村城



ファイルNo2439

志村三丁目の駅から見える丘の上の城跡

             空堀(右手:土塁)    

@ しむらじょう 
  別名 

A住所:板橋区志村2丁目
B目標地点:熊野神社・志村小学校
C形式:丘城  D比高:20m 
E現況:学校・神社・宅地

F遺構等:郭・堀・土塁・碑・説明板
G時代/人物:期/
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  都営三田線志村三丁目駅から10分

J撮影・訪問時期:2010年04月

  

道案内 

首都高の板橋本町で下りて国道17号線を戸田方面に進みます。2.8km先の側道に入り信号を左折し環八通りに入ります。500m先の信号を左折し、200m先、志村三丁目駅横で都営三田線の高架をくぐります。100m先の信号を右折し、丘陵下を400m進み左折し、志村小学校前を越えると熊野神社です。車で行くより電車が便利です。
 
訪城備忘録

志村三丁目の駅のホームから西に見える高台が城址です。志村小学校周辺が本丸で、熊野神社周辺が二の丸相当だったようです。本殿の裏手から北側にかけて空堀が残っていて、本殿背後の盛り上げ利は櫓台かなにかの土塁跡と思われます。23区内で遺構が残る数少ない城跡です。

城址碑と説明板
歴史

築城時期は定かではありませんが、平安末期から鎌倉前期に豊島氏の一族志村氏が築いたものです。康正元年(1456年)、千葉一族の馬加康胤に下総を追われた千葉自胤が赤塚城に入り、志村城には一族の千葉信胤が入ったとされます。大永四年(1524年)に北条氏綱に攻められ落城、その後は北条氏の支城として機能し、天正十八年(1590年)、北条氏滅亡の際に廃城になったとされます。

熊野神社      空堀と左は土塁
  

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