越後 不動山城



ファイルNo3139


                                竪堀

@ ふどうさんじょう 
  別名  

A住所:糸魚川市越
B目標地点:
C形式:山城  D比高:340m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・(畝状竪堀)
   堀・土塁・(石積み)・碑・説明板

G時代/人物:室町期/山本寺氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  林道終点から比高120m/10分

J撮影・訪問時期:2016年08月

  

道案内 ←林道終点    ←林道入り口

北陸自動車道糸魚川インタから国道148号線で北上、約2km先の横町の信号で右折し国道8号線に入ります。途中から糸魚川バイパスに入り、約8km先、立壁の信号で右折し県道270号線に入ります。約8km先、越のバス停付近で左折します。曲がり角に「不動山城」の標識があります。 すぐの橋を渡るとT字を左折し、300m先で斜め右を登ります。登るとすぐに大きなS字カーブで、そこから約2km林道を登ると林道の終点です。ここは狼煙場であり、説明板など設置してあります。ここから登ります。林道終点手前に集落跡があります。要害集落と呼ばれ、不動山城の居館があったとされるところです。

訪城記録

現在の不動山城は麓の里から2km林道で入る場所にあり、山深い感じがしますが、城山手前には要害集落という集落があり(現在はほぼ廃村)、往時は居館はここにあったようです。林道終点は狼煙場と呼ばれ、勝山城(落水城)から春日山城への狼煙による連絡がされたようです。ここの南側段郭(要害集落側)斜面に石積みもあるようですが、藪で行けません。登り始めると一の防堀という標識に至ります。竪堀が綺麗な形で見ることができます。しかし、訪城時は8月お盆、草木は伸び放題で、主郭までの道は地元の方の草刈りでなんとか確保はされていますが、その周囲は藪状態で遺構を観察するのは難しい状況でした。二の防堀、三の防堀を越えると三の郭に至ります。三の郭から三段ほど段郭が尾根の鞍部まで続いている感じで、その真ん中を登ります。右手上が主郭部、左手上が二の郭になるようです。鞍部まで登るとしっかりと残る井戸があります。左手に進むと二の郭です。大きな円状の郭ですが土塁等は無いようです。井戸から右に登って行くと主郭(実城)に至ります。ここからの眺望は抜群ですが、郭としては狭い感じです。城址碑が建ちます。反対側へ下りると障壁土塁があるようですが藪でさっぱり判りません。頂上の主郭(実城)の下を帯郭が巡り、この北東側下には南北の郭があって土塁が明瞭な形で残っていますが、郭自体が藪で近づけません。この土塁の北側尾根には堀切があり、土塁の東側斜面には畝状竪堀があるようですが、藪であえなく断念です。藪の無い時期に再訪したいものです。

城址碑
歴史

築城時期は定かではないようですが、山本寺(さんぼんじ)氏が居城とした城です。山本寺氏は越後守護上杉朝方の子の朝定が築城したともされます。永正四年(1507年)、山本寺景貞は、守護代長尾為景と対立し不動山城は落城し、一時山本寺氏は没落したようですが、景貞の子の定景は返り咲き、定景の子の定長は長尾景虎(後の上杉謙信)に仕え、多くの戦功をあげたようです。定長は謙信死後の御館の乱では景虎に属したため、山本寺氏の家督は定長の弟の孝長が継ぎました。孝長は魚津城の城将として織田氏に対峙しましたが、天正十年(1582年)、織田勢の柴田勝家らに攻められ自刀しました。

麓から城跡主郭を遠望
主郭から日本海側の眺望
(左側の日本海に突き出した山が勝山城)
主郭から里側の眺望
  
城跡入口                      麓から城跡遠望
麓の風景
居館跡土塁                 中腹の居館跡
           林道終点            狼煙郭(この奥の斜面に石積みがあるよう)
狼煙郭を上から
標識と上側の竪堀   一の防堀     下側の竪堀
横掘地形                三の防堀
三の郭
   鞍部の井戸                 鞍部から二の郭を見る
二の郭
    主郭                  主郭からの眺望
主郭からの眺望
主郭東側下郭
主郭北東側下郭の土塁
土塁の左側先の尾根に堀切、右側下斜面には畝状竪堀があるようです

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