相模 松田城



ファイルNo2355


                          堀切  

@ まつだじょう 
  別名 

A住所:足柄上郡松田町庶子
B目標地点:
C形式:山城  D比高:150m 
E現況:みかん畑・山林・宅地

F遺構等:郭・堀切・碑・説明板
G時代/人物:平安期/松田氏
H満足度: 凸+☆
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2009年12月

  

道案内 

東名高速道の大井松田インタを下り、国道255号線に出て、国道246号線へ向かいます。800m先の籠場インタの信号で左折し国道246号線に入ります。1.5km先の庶子の信号で斜め戻りで右折し県道72号線に入ります。100mほどで左折し150m先で左折、東名高速道を越え、右折し300m先の農道の坂道を登って行きます。道の途中に説明板があり、この先は茶畑でこの一帯が城跡です。


訪城コメント

説明板より先に車で乗り入れはできないので、車では説明板付近に停めて徒歩で進みます。農家のみかん畑作業小屋付近に城址碑及び郭を隔てる堀切があります。一帯はほんとにみかん畑で、相当上まで登ってみましたが、明瞭な遺構は無い感じです。

説明板
歴史

松田氏は波多野氏の一族で、波多野義通の子の義常が築城したと伝わるようです。波多野氏は元々源氏方でしたが、保元の乱以降は平氏に従いましたが、源頼朝に破れ自害しています。義常の子の有常は頼朝に許され松田郷を領し松田氏を名乗ったようです。南北朝の時代、松田氏は南朝方でしたが、巧みに存続したようです。戦国期に入り、大森氏に圧迫されましたが、いち早く北条早雲に味方し、北条家の重臣となります。天正十八年(1590年)の豊臣秀吉の小田原城攻めで北条氏は滅亡、重臣であった松田憲秀は切腹しました。


高所より城址を望む                 城内

現地説明板より               城跡より富士山遠望
麓の説明板と竪堀(現在は道)           小田原方面眺望

  
  堀切と郭                 城内から裏山遠望

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