武蔵 小沢城



ファイルNo2088

               物見台下の堀切    

@ おざわじょう 
  別名 

A住所:川崎市多摩区菅仙谷1丁目〜稲城市矢野口
B目標地点:
C形式:山城  D比高:80m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・碑・説明板
G時代/人物:鎌倉期/稲毛氏・小沢氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  寿福寺から25分

J撮影・訪問時期:2009年04月

  

道案内 

国道246号線の溝口の信号(立体の下の信号)を府中方面に曲がり、県道9号線(府中街道)に入ります。6.5km先の稲生橋の信号を越え、その先の陸橋を越えたところが県道3号線との交差の多摩警察署前の信号です。ここからさらに3.5km先の京王稲田堤駅の信号を逆V字に左折します。700m先を右折、道なりに500m進み、Y字を右手に行くと100m先右手に登り口があります。さらに300m先の住宅地の切れ目にも登り口があります。反対側(稲城市側・よみうりランド側)からも登り口はそりそうですが・・・。

訪城備忘録

登り口は何箇所かあるようです。ただ、周囲は住宅地のため、車を止められるところは近くのお寺の駐車場でもお借りしないと無理かもしれません。ただ、お寺を含めて城跡はこの周辺のウォーキングコースになっています。丘陵は保存会の方々によって守られていて、要所には案内板も建っています。草むらに足を踏み入れたらしっかりと蛇君も生息してました。^^; さて、城跡ですが、都市部の城跡としては残っている方とは言えますが、横堀形状・竪堀形状あるいは削平地的な平場の地形がどこまで遺構なのか判断しにくい感じです。西側はジャイアンツ球場・よみうりランドで遺構は消滅しているようです。主郭と思われる箇所に城址碑と説明板が建っています。明瞭な遺構としては櫓台(物見台)の西側堀切と東側の井戸及び南側の張り出しの郭でしょうか。

城址碑
歴史

鎌倉初期に源頼朝の家臣の稲毛三郎重成、あるいは、重成の子の小沢小太郎が築城したとされます。南北朝期には、観応二年<南朝:正平六年>(1351年)に足利基氏が、小沢城に籠もった足利直義の軍勢を攻め落城したとされます。さらに、享禄三年(1530年)には北条氏康がこの城に籠もり、(扇谷)上杉朝興を小沢原の戦いで破ったとされ、氏康はこの時初陣であったとされます。戦国後半には廃城になったようです。

主郭東側下の堀切      横堀形状  
  物見台東側下の井戸      物見台南側下の郭と土塁?
  

近くの城・関連の城: