相模 河村新城



ファイルNo2054


                          櫓台と説明板  

@ かわむらしんじょう 
  別名 

A住所:足柄上郡山北町川西
B目標地点:
C形式:山城  D比高:250m 
E現況:茶畑・山林

F遺構等:郭・堀・石積み?・説明板
G時代/人物:戦国期/北条氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  川西峰集落の入り口から20分

J撮影・訪問時期:2009年03月

  

道案内 

東名高速道の大井松田インタを下り、国道246号線を御殿場・沼津方面に進みます。10km先の山北駅そばの宮地の信号を越え、さらに7km先の清水橋の信号を越えたら150m先の中央分離帯の切れたところで右折し路地に入ります。ここから細いジグザグ道を登って川西峰集落まで登ります。集落の入口に防火漕のある少し道幅が広い箇所で鋭角に左折し、そのまま集落の背後の斜面を茶畑の中を登っていくと頂部に説明板があります。

訪城コメント

集落背後の急な斜面を茶畑の中を登りますが、作業用の道路のようですので、ご迷惑にならんように登る必要があります。私は歩きで登りましたが・・・。説明板がある箇所の背後が高台になっていて櫓台跡のようです。郭内は藪状態ですが、側面に石積みの痕跡が残っています。果たして遺構なのかは?です。櫓台の背後を下りて行くと、(説明板の左手の道)動物よけのフェンスがあり、その出入り口からさらに下ると、大きな幅でくの字状に郭というか堀があります。端には土塁が続いています。斜面であり、削平はよくありませんが、駐屯地としての役割のあった空間ではないかと想像します。主郭は現在は茶畑になっているところではないかと思われます。縄張りはよくわかりませんが、武田氏備えた城という感じは分かるような気もします。

櫓台
歴史

築城時期ははっきりしていないようですが、永禄十二年(1569年)に武田信玄の小田原城攻めの際に落城したという記録はあるようです。天正十八年(1590年)の小田原の役の際には遠山左衛門尉景政が守備していたものの徳川勢に攻められ落城したという記録があるようです。城はその後に廃城になったようです。


北側に広がる駐屯地のような広い郭と土塁

  
   眺望                 主郭付近と思われる茶畑

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