道案内 ←城山公園駐車場 |
東名高速道厚木インタを下り、国道129号線を厚木市内方面に進みます。7.5km先の妻田の信号で斜め左に入り国道412号線に入ります。25km先の串川橋の信号で右折し県道510号線に入ります。2.1km先の西中野の信号で左折し県道65号線に入ります。道なりに1.8km先の根本のバス停そばで右折し、すぐを左折すると津久井湖城山公園パークセンターです。ここから登ります。津久井城までは国道129号線相模原の橋本付近から国道413号線に来るなど幾通りかのルートはあります。愛甲から県道65号線で三増峠下を越えてくるのもいいです。また、登城道は県道510号線城山登山口のバス停付近から、あるいは、国道413号線の津久井湖展望台付近から、県道65号線の根小屋諏訪神社付近からなどがあります。
あるいは、圏央道の相模原インタを出来ていますので、相模原インタを下り、県道510号線を進みます。約1.6km先の東金原の信号を右折したら県道65号線です。
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訪城備忘録 |
私は東側麓の登山口バス停から登り、尾根を抜けて、西南麓の城山公園へ下りました。だいたい2時間程度の道のりでした。この城は飯縄曲輪を中心とした郭郡と主郭を中心とした郭郡に大きく分けられます。まず、東側から登ると急坂を鷹射場(郭)まで登ります。けっこうきつい急坂でした。鷹射場は出丸なんでしょうか、周囲には複雑な防備設備はないようですが、見晴らしはよかったです。ここからアップダウンの細尾根を進みます。堀切を越えると飯縄曲輪下の宝ケ池に至ります。池と言っても小さいものですが、枯れたりはしないようで、山中の貴重な水源のひとつだったんでしょうね。ここから飯縄曲輪(飯縄神社)まで登り、さらにまたアップダウンの尾根を進みます。太鼓曲輪の先の堀切がこの城の堀切では一番明瞭です。ここには引橋があったとされます。ここから最後の坂を登ると主郭です。主郭周囲は二の郭相当の帯曲輪が巡ります。主郭は大きなL字の土塁があり、その上には江戸時代に建てられた城址碑が建っています。戻って太鼓曲輪の南下に廻り込むと家老屋敷と呼ばれる郭があります。ここの南西斜面にはわりと規模の大きな石垣が残っています。ここだけに残っているため、なにか唐突な感じはしますが往時は麓より見えたのかもしれません。根小屋側麓は公園となっており、御屋敷跡は広場に、陣屋跡は公園管理事務所になってます。御屋敷の山側は遊歩道が巡り、竪堀なども確認できます。技巧的で複雑な縄張の城というわけではありませんが、規模の大きな山城であり、根小屋と山頂部の戦闘の城域が明瞭に分けられてる城跡であり、大変楽しめたお城です。
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根小屋
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鎌倉初期、三浦一族の津久井義行の子為行(津久井太郎次郎義胤)が三浦半島の津久井から移り築城したとされます。三浦氏を滅ぼした北条氏は家臣の内藤景定を城主とし、その後、改修を続け、武田氏に備えたとされます。ただ、武田氏と北条氏との有名な合戦である永禄十二年(1569年)の三増峠の戦いには内藤景豊(景定の子)は参戦していません。これは、内藤氏にある種の自治権があったためのようです。天正十八年(1590年)の豊臣秀吉の小田原攻めには内藤景豊は小田原城に寄り、留守居の武将が城を守りましたが、徳川家康の家臣である本多忠勝と平岩親吉に攻められて落城したとされます。その後、徳川領として麓に陣屋が置かれ八木氏などの代官が統治したとされます。
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