神奈川の城05  

                                                                               

磯部城  2653
上磯辺の土塁の説明板

土塁
御嶽神社

A相模原市南区磯部
B磯部郷土民俗資料館・能徳寺

東名高速道の町田インタから国道16号線を八王子方面に進みます。15km先、淵野辺の信号で左折し、県道57号線に入ります。5km先、上溝本町の信号で左折し、1.4km先の田尻の信号で斜め左に曲がり県道46号線に入ります。8.3km先、新磯小学校入口の信号で右折します。700m先で右折がバスの転換場所(磯辺のバス停)の十字路です。これを直進し、100m先左折、50m先右折とクランク状で進みます。左手が能徳寺です。300m先の左手に公園の駐車場があります。ここから相模川沿いの遊歩道を900m進んだ右手に(途中、相模原市磯部郷土民俗資料館があり、ここからは300m程度)説明板があります。説明板の裏手に遊歩道とは90度で土塁が横たわっています。


C平城
F遺構等:土塁・説明板
G室町期/長尾氏? 
H満足度:凸

城の主郭は能徳寺付近、あるいは、少し離れた御嶽神社一帯ではないかと言われてます。上磯部の土塁は城の北側の土塁の一部と考えられています。この城は長尾景春が小沢城の支城として築かれたようで、文明八年(1476年)の長尾景春の乱で太田道灌に攻め落とされたとされます。
J訪城:2011/06
  
矢部館  2652
説明板
土塁
土塁

A相模原市中央区上矢部4丁目
B薬師堂

東名高速道の町田インタから国道16号線を八王子方面に進みます。15km先、淵野辺の信号で右折し、県道57号線に入ります。3km先の根岸西で左折し都道47号線(町田街道)に入ります。2.1km先、常盤の信号で右折し、800m先左側、薬師堂バス停のところに土塁が残ります。
C平城
F遺構等:土塁・説明板
G鎌倉期/矢部氏 
H満足度:凸
鎌倉期、横山党

武蔵七党という武士団のひとつ横山党も支族で、横山兼続の孫の義兼が当地に移り、矢部氏を名乗った。矢部義兼は建暦三年(1213年)の和田合戦で破れ討死したとされます。

*和田合戦:鎌倉初期、和田義盛を首謀とする鎌倉執権北条氏に対する乱。

J訪城:2011/06
   
淵辺館  2651 
館碑と説明碑
A相模原市中央区淵野辺本町5丁目
B水道施設
東名高速道の町田インタから国道16号線を八王子方面に進みます。15km先、淵野辺の信号で右折し、県道57号線に入ります。2.2km先、淵野辺本町二丁目の信号を右折します。400m先で右折し、30m先を左折した坂を50m登ると左手、水道施設のフェンス脇に城址碑と説明脾があります。

C平城
F遺構等:碑・説明碑 
G南北朝期/淵辺氏 
H満足度:凸
南北朝期に淵辺義博はこの地の地頭でした義博は足利直義の家臣で、建武二年(1335年)に幽閉されていた護良親王を殺害し、後、駿河で討死したとされます。伝説では親王を奥州石巻にお逃ししたとも伝わります。

J訪城:2011/06