道案内 |
常磐自動車道の水戸インタを下り、国道50号線を進みます。20km先、寺崎の信号で左折し国道355号線に入ります。1.4km先の信号で国道355号線は左折です。(直進は県道311号線) 国道に左折し、700m先のT字で国道は右折ですが、左折します。左折しすぐに右折し、道なりに登って行くと中腹の千人溜の駐車場です。八幡台櫓が移築されている真浄寺は最後のT字を左折し1.2km先右手です。
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訪城備忘録 |
茨城県ではあまりない石垣を多用した城です。中腹の千人溜り(的場曲輪)から堀切を渡ると大手門です。山側に石垣が残ります。尾根に登ると本丸です。中央に土塁が突き出し、これは八幡台櫓の土塁です。本丸よりさらに上、頂上部分が天守曲輪です。山頂に天守台が残ります。天守台から登って来た道と反対側の急な坂を下りると石倉と呼ばれる石の切り出し場です。ここの岩には矢穴が残っていました。ここからの眺望はいいです。5月の訪城でしたが、草木が多く、戦国期の城跡部分に足を踏み入れましたが藪状態でした。近世では山上の城は使われていなくて、麓に政庁があったものです。麓公園が下屋敷であったようですが、立ち寄らなかったです。また、八幡台櫓が移築されている真浄寺にも寄るのを忘れました。^^; さらに、城門も国道50号線の才木の信号から県道61号線に入って500mくらいの集落内の民家に2棟移築されているようです。
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説明板
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承久年間(1219〜21年)に宇都宮頼綱の甥の笠間時朝(塩谷朝業の子)が築城したとされます。笠間城は戦国末期まで笠間氏の居城でしたが、天正十八年(1590年)の小田原の役では笠間綱家は後北条氏に従ったため、小田原城開城後に宗家の宇都宮国綱に攻められて笠間氏は滅亡しました。笠間城は宇都宮氏の支配後、慶長三年(1598年)に蒲生郷成が三万石で入封、改修し現在の城になったとされます。慶長六年(1601年)には郷成は改易となり、松平康重が入封しました。小笠原氏、永井氏、浅野氏、井上氏、本庄氏と城主は変わり、永享四年(1747年)には牧野貞通が八万石で入封し、明治維新まで牧野氏の居城として続きました。
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