常陸 小田城



ファイルNo2062

        櫓台土塁  

@ おだじょう 
  別名 

A住所:つくば市小田
B目標地点:小田小学校
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:史跡公園・宅地・田畑

F遺構等:郭・土塁・堀・碑・説明板
G時代/人物:鎌倉期/八田氏(小田氏)
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2009年04月・2013年02月

  

道案内 

常磐自動車道の土浦北から国道125号線に入ります。10km先の県道53号線との交差点の信号を越え、250m先で斜め左に入ります。750m先の十字路を左折します。道なりに500m進むみ小田保育所の前で左折するとその先が城跡です。
 
訪城備忘録

ただっぴろい広場のような主郭周囲に明瞭な堀跡が巡り、出丸かな。主郭隅には櫓台の跡の大土塁が残ります。ただ、ただっぴろいだけで、主郭以外が集落となっている事と沼地は田畑になってしまっているため、要害という印象はありませんでした。訪れた時は桜が満開の季節で、城跡に桜、なかなかいいもんです。

2013年02月再訪
主郭周囲の土塁のなど復元作業が続いていました。城らしくなった反面、前のままでもいいのになとも思います。

城址碑
歴史

鎌倉初期(文治元年(1185年))、八田知家が常陸守護となり、居館を構えたのが始まりとされ、四代、時知は小田氏を名乗りました。南北朝期には小田治久は南朝に味方し、北畠親房は治久を頼り小田城に入りましたが、足利氏方の高氏に降伏しました。その後は足利幕府に臣従し領地を守り、戦国期に入りると江戸氏、結城氏との抗争が続き、また、結城氏、上杉氏に攻められ2度落城していますが、そのたびに家臣菅谷氏の土浦城に逃れ再起しています。しかし、永禄十二年(1569年)、十五代、小田氏治は佐竹氏との戦いに敗れ小田城を追われました。天正十一年(1583年)には佐竹義重に降伏しますが、天正十八年(1590年)に北条氏に味方して没落しました。小田城は永禄十二年以降は佐竹氏の家臣の太田資正、梶原政景、小場義宗が城代となっていましたが、慶長七年(1602年)、佐竹氏が出羽秋田に転封となり、城は廃城になりました。

土塁         堀
周辺図           現地案内板より          古図復元
小田城の桜 2009/04
櫓台土塁の桜
 復元中の小田城 2013/02

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