常陸 土浦城



ファイルNo2061


                         太鼓櫓門(現存)   

@ つちうらじょう 
  別名 亀城 

A住所:土浦市中央1丁目
B目標地点:亀城公園
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:公園・市街地

F遺構等:郭・土塁・水堀・櫓・門・碑・説明板
G時代/人物:室町期/若泉氏・
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2009年03月

  

道案内 

常磐自動車道の土浦北インタから国道125号線に入ります。3km先の若松町の信号で右折します。4km先左手が亀城公園です。
 
訪城記録

本丸、二の丸は亀城公園となっていて、水堀、土塁が残ります。また、太鼓櫓門と霞門が現存の建物として残っており、西櫓は昭和二十四年の台風で破損し解体され用材を保管されていたものをその用材を使って復元されたものです。また、二の丸門の位置に前川口門が移築され、さらに市内には三箇所に城門が移築されているようです。

現地説明板より
歴史

天慶年間(938〜47年)に平将門が築いたという伝承があるものの定かではないようです。永享年間(1429〜41年)に小田氏の家臣の若泉三郎が築城したとされます。永正十三年(1516年)に若泉五郎左衛門は同じ小田氏の家臣の菅谷勝貞に城は奪われました。その後、小田氏は佐竹氏に圧迫され、天正十三年(1583年)に小田氏治は佐竹氏に降りますが、天正十八年(1590年)の豊臣氏の小田原城攻めでは小田氏とともに菅谷範政は北条氏に与したため小田氏とともに没落しました。関東に入封した徳川家康は次男の結城秀康にこの地域を加増しました。慶長六年(1601年)に秀康が越前に転封となり、松平(藤井)信一が3万3千石で入封、子の信吉は元和三年(1617年)に上野高崎に転封となり、その後は西尾氏、朽木氏と城主は変わり、寛文九年(1669年)に土屋数直が4万5千石で入封し、一時、松平(大河内)氏が入りましたが、貞亨四年(1687年)に再び土屋政直(数直の子)が6万5千石で入封し、土屋氏は最終的に9万5千石まで加増となり明治維新まで続きました。


内堀

西櫓(元の用材を使って復元)             前川口高麗門(移築)
霞門(現存)                城址碑と土塁

  


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