常陸 水戸城



ファイルNo2039


                         薬医門(本丸に移築)   

@ みとじょう 
  別名 馬場城・水府城 

A住所:水戸市三の丸3丁目
B目標地点:水戸第一高校
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:

F遺構等:郭・堀・堀切・門・説明板
G時代/人物:期/
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2009年02月・2010年07月

  

道案内 

国道6号線から国道51号線に入り、城南3丁目で国道は右折で、常磐線を越えて、水戸駅北口の北側、講道館の案内板に従って進み、講道館の前で右手に進むと大手橋を渡り、二の丸、その先が本丸となります。
 
訪城記録

現在の水戸第一高校があるところが戦国時代の主郭(江戸期も本丸と呼ばれたようですが倉庫だったようです)、茨城大学付属小学校敷地が御殿や御三階櫓があった二の丸、講道館がある場所が三の丸になります。本丸と二の丸の間の堀は水郡線に、二の丸と三の丸の間の堀は道路になっています。講道館から二の丸に入る大手付近に土塁が残り、本丸である水戸第一高校敷地にも土塁が残ります。講道館の裏手に三の丸の空堀がわりと明瞭に残っているみたいですが見ていません。

本丸虎口
歴史

平安末期建久四年(1193年)、平国香の子孫の馬場資幹が築きました。以後、大掾(馬場)氏の居城となりました。応永二十三年(1416年)に大掾満幹は江戸道房に破れ馬場城には江戸氏が入りました。天正十八年(1590年)、江戸重通は北条氏方で、豊臣側に与した佐竹義重・義宣は江戸氏を攻め、文禄三年(1594年)にこれを破り馬場城に入り、義宣は城を水戸城と改めました。慶長七年(1602年)に佐竹氏は出羽秋田に転封となり、徳川家康は武田信吉を入れるも翌慶長八年に死去し無嗣断絶となり、変わって徳川頼宣を50万石で入封しました。慶長十四年(1609年)には頼宣が駿府に転封すると、徳川頼房が25万石で入封し、水戸徳川家として明治維新まで続きました。


 本丸土塁                     本丸空堀(水郡線)

 大手枡形                 大手橋付近
徳川頼房像と二の丸土塁                   二の丸土塁    

  
偕楽園の梅

             近くの城・関連の城: