道案内 |
この城址公園は交通機関としては不便な場所です。車にしても常磐道・東北道の各インタからも遠いです。但し、現在は圏央道の境古河インタが近くにできています。国道4号線で説明しますと、東京方面から来た場合、(東北道久喜インタを下りたとして) 国道4号線の菱沼(幸手市上宇和田)の信号を右折し、県道26号線に入ります。約700m先で関宿橋を渡り、左折しなります。4km先、関宿城博物館のそばを通り、境大橋で利根川を渡ります。山神橋の信号で国道354号線を横切ります。約1km先の旭町の信号で右折し県道137号線に入ります。約8km先の信号で左折し県道125号線に入ります。約600m先の信号で右折し、道なりで約1.5km先が逆井城址公園です。
圏央道境古河インタからですとインタ信号を左折し、200m先の信号を右折します。約2.5km先のT字を左折し県道に入ります。約5.6km先(前原の信号から約800m先)を左折し、約1.2km先の右手が城址公園です。
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訪城備忘録 |
小生には記念すべき2000城訪城達成の城です。本当は山城での達成がよかったんですが、この城も平城とは言え、遺構も綺麗に残り、発掘調査の後の復元あるいは公園化に伴う復興建物(主殿は大台城の発掘調査で検出した主殿の遺構を参考に建てられたそうです。)がうまくマッチした城跡でしたので満足です。この城は逆井氏時代の逆井古城と後北条氏の飯沼城の遺構が混在して残るめずらしい城との事です。他の方のホームページを見てると、どうしても復興建物の印象が強いのですが、公園整備された奥まったところにある二の郭、主郭の広大さ、折れの入った空堀・土塁は見応えがありました。
2019年に再訪しました。夏場で草木が伸びてましたが、佇まいはとってもいい感じですね。
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城址碑
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小山義政の五男の常宗が逆井氏を名乗り、享徳年間(1452〜55年)前後に築城したとされます。天文五年(1536年)、常宗の孫の常繁が城主の時に、小田原北条氏の家臣、大道寺盛昌に攻められ落城し、逆井氏は滅亡しました。天正五年(1577年)玉縄城主の北条氏繁が大改修し、飯沼城としたようです。氏繁没後、氏舜(うじとし)、氏勝が入りましたが、天正十八年(1590年)、小田原北条氏滅亡でこの城も廃城になったと伝わります。
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