陸奥 鴫山城



ファイルNo2516


                         主水郭下石垣   

@ しぎやまじょう 
  別名 南山城 

A住所:南会津郡南会津町田島
    旧:南会津郡田島町

B目標地点:愛宕神社
C形式:山城  D比高:180m 
E現況:山林・神社

F遺構等:郭・石垣・堀・土塁・説明板・碑
G時代/人物:ーー期/長沼氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  30分
J撮影・訪問時期:2010年07月

  

道案内 

会津若松城付近から国道118号線で南下、湯野上温泉で国道121号線でさらに南下、会津若松市中心部から75km先、会津鉄道の会津田島駅前を越えて300mくらい先を左折し路地を300mほど登った先、幼稚園の先が大門からの登城口です。役場の先に東からの登城道(駐車場有り)と福島県合同庁舎(駐車場有り)から西の登城道もあります。
 
訪城備忘録

本来中世の山城ですがそれに江戸初期まで使用されていたこともあり麓付近は根小屋が発達した感じで下千畳、上千畳は大きな郭になっています。山上の遺構は主水郭周辺が石垣も残り、中世的な遺構を残しますが、あまり手が込んだ縄張りではない感じがします。

愛宕神社
歴史

築城時期は定かでは無いようですが、南北朝期前後に長沼氏が築城したと考えられます。永正十六年(1521年)に蘆名氏と争い鴫山城は落城しますが、その後、長沼氏は蘆名氏に従い、城も使用されました。天正十七年(1589年)に蘆名義広は伊達政宗との摺上原の戦いに破れ、蘆名氏は滅亡し、長沼氏は伊達氏に従います。天正十八年(1590年)に伊達氏は会津を失い、長沼氏も伊達氏に従いこの地を離れました。鴫山城には蒲生氏の家臣の小倉孫作が6300石で入りました。慶長三年(1598年)、上杉氏が会津の領主になると大国実親が城代となり、さらに、慶長六年(1601年)、再度、蒲生氏が会津の領主となると小倉氏が再び城代になりました。寛永四年(1627年)に加藤嘉明が会津に入封した際に廃城になったとされます。

主水郭と土塁              愛宕神社下石垣
現地説明板より               大門前空堀
大門(復元?)             土門付近
下千畳と土塁              主水郭の上、主郭下郭
  

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