陸奥 向羽黒山城



ファイルNo2513


                        二の丸下内枡形虎口    

@ むかいはぐろやまじょう 
  別名 岩崎城 
A住所:大沼郡会津美里町船場
    旧:大沼郡会津本郷町

B目標地点:向羽黒山・白鳳山公園
C形式:山城  D比高:300m
        駐車場から90m 
E現況:山林

F遺構等:郭・石垣・土塁・竪堀・堀切・説明板・碑
G時代/人物:戦国期/蘆名氏
H満足度: 凸凸△
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分
J撮影・訪問時期:2010年07月

  

道案内 

磐越自動車道の会津若松インタで下り、国道121号線を南下します。700m先の観音堂の信号で左折し国道49号線に入ります。1.4km先の北柳原の信号で右折し国道118号線に入ります。6.4km先の会津総合運動公園前の信号で右折し県道128号線に入ります。3.5km先の信号で左折し県道128号線の旧道に入ります。500m先の会津本郷焼資料館前で左折し白鳳山公園方向に入ります。山道を2.5km進むと向羽黒山下駐車場です。
=駐車場
訪城備忘録

主郭のある向羽黒山の中腹まで車道で行けるため夏場でもわりと楽なお城です。築城開始から7年をかけて完成させた巨城なのですが、夏場は夏草に覆われて巨大な竪堀も横堀も夏草の中でいまいちでした。しかしながら、二の郭の三日町口側に下りて行くと内枡形の石垣を伴う虎口が見られます。ここの虎口は大きく、この城の大きさが思い描けました。麓の会津本郷焼資料館で一休みもなかなかいいです。向側の登城口には全山の説明板も設置されています。

主郭登り口案内板
歴史

永禄十一年(1568年)に蘆名盛氏は家督を盛興に譲りこの城を築城しました。天正三年(1575年)に盛興が死去し盛氏が黒川城に復帰しました。天正八年(1580年)に盛氏が死去し、天正17年(1589年)に伊達正宗によって蘆名義広が敗北し蘆名氏は滅亡して以後、蒲生氏、上杉氏によって改修されたと考えられます。慶長六年(1601年)に上杉氏が米沢に転封された時期に廃城になったと考えられます。

虎口外側空堀と石積み 二の郭下三日町口側虎口と石垣  土塁    
  
主郭側竪堀                門跡
主郭側横堀
主郭
   主郭南下堀切         主郭と二の郭の間の巨大な堀切
二の郭三日町側竪堀              現地案内板より

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