陸奥岩代 浜崎城



ファイルNo2508


                        土塁    

@ はまざきじょう 
  別名 藤森城 

A住所:河沼郡湯川村浜崎
B目標地点:JR塩川駅の南700m
C形式:平城  D比高:ーーm 
E現況:宅地・田畑・雑木林

F遺構等:郭・堀・土塁・説明板・碑
G時代/人物:南北朝期/浜崎氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2010年07月

  

道案内 

磐越自動車道の会津若松インタで下り、国道121号線を北上(喜多方方面)に進みます・8.5km先、磐越西線の筏川駅を越えたあたりで踏み切りを越えます。越えてすぐに斜め左に入り塩川駅方面に進みます。700m先道沿い左手に説明板があります。 

訪城コメント

城域の大半は宅地化されているようです。説明板とJR線の間に土塁の一部と水田(今は休田のようです)になってる堀跡が残ります。日橋川あたりまでが城域だったようです。訪れた日には川で筏レースをやってました。村おこし・町おこしなんでしょうね。

説明板と碑
歴史

南北朝期の至徳年間(1384〜86年/南朝:元中年間)頃に浜崎主馬が築いたとされますが定かではないようです。観応三年(1352年)に三浦若狭守(葦名直盛)が浜崎城などの諸城を攻めたという記録もあり、それ以前から浜崎城があったことになります。享徳二年(1453年)に浜崎政頼、松本通輔が葦名盛詮に対し謀反しましたが浜崎城は落城し浜崎氏も滅亡しました。天正十八年(1590年)以降、蒲生氏が会津領に入って浜崎城は蒲生喜内頼郷(横山喜内)が入りました。慶長六年(1601年)、蒲生氏が再入封後は蒲生主計介郷貞が城に入りました。旧城は水害に悩まされたため、新城を築城、これが今残る浜崎城です。元和元年(1615年)の一国一条令で廃城でしたが蒲生氏は茶屋として城郭を残したようです。


土塁と堀跡の水田                現地案内板より


  

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