陸奥岩代 猪苗代城



ファイルNo2507


                        胴丸からの虎口石垣    

@ いなわしろじょう 
  別名 亀ケ城 

A住所:耶麻郡猪苗代町古城跡
B目標地点:亀ケ城址公園・猪苗代小学校
C形式:山城  D比高:40m 
E現況:公園・山林

F遺構等:郭・石垣・堀・堀切・土塁・説明板・碑
G時代/人物:鎌倉期/佐原氏(猪苗代氏)
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2010年07月

  

道案内 ←駐車場

磐越自動車道の猪苗代磐梯高原インタで下り、国道115号線を北上します。磐越西線を陸橋で越えて インタから2.5km先、警察署東の信号で左折し県道322号線に入ります。750m先の信号で右折します。800m先左手が城跡です。
 
訪城備忘録

鎌倉期から幕末まで続いた城というのもそうそうないですよね。小山に築かれた城ですが、古風な石垣、円弧を描く土塁、麓に横たわる空堀、曲線が芸術的でもあるように感じます。城域はこじんまりとしながらも、郭はわりと大きい近世的要素もありますが、全体的には古城らしい雰囲気が好きになりました。

主郭下虎口石垣
歴史

葦名氏と同属、三浦氏の一族の佐原義連は奥州征伐により源頼朝より会津四郡を与えられ、子の盛連、盛連の子の経連と続き、経連は猪苗代に住して猪苗代氏を名乗り、建久二年(1222年)に城を築いたとされます。以後十四代盛胤(盛国)まで続き、天正十七年(1589年)の摺上原の戦いでは伊達政宗に従い葦名氏を滅亡させました。翌年豊臣秀吉の奥州仕置きで伊達氏は会津領を召し上げられたため、猪苗代氏も離れました。城はその後も会津領主の支城として続き、一国一城令でも存続され幕末まで続きました。慶応四年(1868年)の戊辰戦争では高橋権大夫が城代でしたが官軍が会津進攻に際して城を焼いたとされます。

主郭          南側堀切
現地案内板より        小学校越しに磐梯山
  
麓の虎口石垣

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