陸奥磐城 革籠原防塁
(鍛冶屋敷)



ファイルNo2499

幻の上杉×徳川決戦地

                        空堀    

@ かわごはらぼうるい 
  別名 

A住所:白河市白坂
B目標地点:白河ブルーベリーの丘
C形式:丘城  D比高:5m 
E現況:雑木林・農園・田畑

F遺構等:郭・堀・土塁・説明板・碑
G時代/人物:戦国期/上杉氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2010年07月

  

道案内 

東北自動車道の白河インタで下り、国道4号線を白河市中心部へ進みます。3.5km先の和尚壇の信号から国道289号線に入ります。10km先、白河実業高校前の信号で右折し県道76号線に入ります。300m先で右折します。(角に案内板があります)2.2km先の右手が城跡です。
 
訪城備忘録

¬状に二重土塁と空堀が300mほど残っています。説明板のある付近の土塁は一段と高くなっています。居館跡というには大領主の館であれば納得も出来ますが、重臣クラスの館だと広すぎる感じですので防塁の跡と言われる方がしっくり来ます。今は無くなったところにも延々と土塁と空堀が続いていたんじゃないかと思います。ただ、徳川家康を誘い込んで袋の鼠にして側面から叩くという上杉氏の構想であった革籠原の決戦の予定地、もっとU字の谷的な地形をしているのかと思ってましたが案外の平地(微高地)でした。感じとしては設楽が原かな・・。

説明板と後方は土塁
歴史

慶長五年(1600年)に上杉景勝、家臣の直江兼続は徳川家康軍を迎え撃つための防衛ラインとして防塁を築いたとされます。ただ、江戸期の史料には鍛冶の工房(屋敷)とされているようです。あるいは、南北朝期に結城氏に仕えた山川氏の居館跡とも言われるようです。二重土塁の防塁は上杉氏の築城の特徴が出ているともされています。

空堀                  周囲の景色
  

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