出羽・羽後 庄内 松山城 



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               大手門             

@ まつやまじょう 
  別名 出羽松山城・松嶺城 

A住所:酒田市新屋敷
    旧:飽海郡松山町

B目標地点:松山文化伝承館
C形式:平城  D比高:ーーm 
E現況:公共施設・宅地

F遺構等:現存門・土塁・堀・説明板
G時代/人物:江戸期/酒井氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  松山文化伝承館駐車場から3分

J撮影・訪問時期:2025年04月

  

道案内 

日本海東北自動車道の酒田インタを下り、国道7号線を南下します。約2.5km先の(広野地区の)信号で左折し県道357号線に入ります。 約1km先で県道は左折です。さらに約200m先のT字路で県道は右折です。約3.5km先、岡地区で県道357号線は右折です。約1.2lm先で県道は国道47号線を潜ります。約1.6km先の信号で右折し県道360号線に入ります。約300m先の信号で左折し県道117号線に入ります。約4km先、庄内橋で最上川を渡ります。橋を渡ってすぐの信号を右折し国道345号線で最上川沿いを進みます。約400m先で左折します。約1km先の信号を左折し県道362号線に入ります。約200m先を右折します。左手が松山城ですが、そのまま約200m先を左折した左手が駐車場です。<酒田インターから松山城跡まで約17kmくらいですね。>

訪城備忘録

山形県唯一の城郭建物が城跡に残ります。 当日は二階にも上がれました。 一階から二階への階段に鍵付きの戸が付いていて、最後の抵抗の場合、ここを閉めて戦うんでしょうね。 大手門前に馬出し跡の土塁がコの字に残ります。また、松山城址館の裏に本丸の土塁の一部が残ります。さらに、松山城跡の駐車場から南に約100m行き、左折し約100m先右手に十三間堀が残ります。 こじんまりとした城跡でした。

馬出し跡土塁
歴史

酒井忠勝の三男忠恒は、正保四年(1647年)に庄内藩二代藩主忠当(忠勝の長男)より2万石を分与され松山藩を立藩し松山陣屋を構えました。松山城は松山藩三代の忠休(ただよし)によって天明元年(1781年)に築城を開始され、天明七年(1787年)に本丸仮御殿が完成しいったん完了しましたが、実際は本丸も二の丸も未完成で、三の丸は大手側のみの造営であったようです。現存の大手門は、寛政二年(1790年)に落雷で焼失したものを、寛政四年(1792年)、酒田の豪商の本間重利が再建し寄進したものです。

本丸土塁     十三間堀
  
大手門
大手門
大手門二階
大手門階段
大手門
馬出し土塁
大手門
大手門
本丸土塁
十三間堀  

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