陸奥・陸中 二子城



ファイルNo4187


              堀切              

@ ふたごじょう 
  別名 飛勢城(とばせ) 

A住所:北上市二子町渋谷・坊館
B目標地点:
C形式:平山城  D比高:60m 
E現況:神社・山林

F遺構等:郭・堀切・碑・説明板
G時代/人物:室町期/和賀氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2025年05月

  

道案内 ←山上駐車場

東北自動車道の北上江釣子インタで下り、国道107号線を東に進みます。約1km先の有田町の信号で左折し国道4号線に入ります。約6km先、北上工業団地口で右折します。約2.5km先、北上工業団地終末処理場の前の信号で右折します。約400m先左手に斜め上へ登る道があります。入口には「飛勢城址」の大きな標識があります。ここを約200mほど登ると八幡神社の駐車場です。
 
訪城備忘録

今回は詰め城である八幡神社の尾根に行った事になります。駐車場から八幡神社を越え、奥へ行くと平坦地があり、途中に浅いですが堀切があってその先にも郭があると言う状態でした。さらに、西側下には長く空堀の痕跡が残ります。

詰め城の南側に大手門跡の碑があり、ここの大手門は花巻城の円城寺門(搦め手門)として移築されたと伝わります。 詰めの城から北東側の低地に白鳥神社や永明寺があり、この郭が城主屋敷等で、空堀も残るようです。しかし、今回は行きませんでした。

説明板
歴史

築城時期は定かではないようです。和賀氏は鎌倉中期より地頭職を務め、黒岩城、更木館を本拠地として来たようですが、室町中期頃(説明板には応永七年(1400年)と記載有)に二子城を本拠地としたようです。天正十八年(1590年)、和賀義忠は小田原に参陣しなかったため豊臣秀吉より改易され、二子城は廃城になります。その後、葛西氏、大崎氏が蜂起し一揆が起こり、和賀氏、稗貫氏(ひえぬき)蜂起し二子城を奪還しました。天正十九年(1591年)、秀吉は再仕置軍を派遣し、一揆は鎮圧されました。

西側斜面の空堀      駐車場にある城址碑
現地説明板より
眺望
  
麓の「飛勢城址」の碑     大手門跡の碑
北側の郭
堀切を上から
堀切
八幡神社背後の平坦地
空堀

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