陸奥・陸中 寺林城



ファイルNo4184


                二重堀            

@ てらばやしじょう 
  別名  

A住所:花巻市石鳥谷町中寺林
    旧:稗貫郡石鳥谷町
(ひえぬき)
B目標地点:光林寺
C形式:丘城  D比高:10m 
E現況:雑木林・寺

F遺構等:郭・二重堀・土塁・説明板
G時代/人物:鎌倉期/河野氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

J撮影・訪問時期:2025年04月

  

道案内 

東北自動車道の花巻インタを下り、県道37号線に入ります。約2.5km先、花巻温泉・台温泉入口の信号を左折し国道4号線に入ります。約3.5km先、石鳥谷BP南口の信号で斜め右、県道265号線に入ります。約1km先の信号で左折します。道なりに約1.5km先で左折します。約300m先を左折し、約100m先、光林寺沿いに右折し、光林寺沿いを約300m進むと右手が社会福祉施設で、左手が光林寺の裏手になり、説明板があります。
 
訪城備忘録

光林寺の裏手の説明板の所から入ると二重の空堀が光林寺を囲むように続いています。だいたい寺の背後の1/2ほど残っているのでしょうか。光林寺の山門前は参道両サイドに土塁があり、先で90°曲がっています。これは枡形という事らしいです。寺には河野道重の宝篋印塔、稗貫俊行の墓があるようです。

説明板
歴史

築城時期は定かではないようですが、光林寺由来書によると弘安二年(1279年)、伊予守護の河野道信の孫(通俊の子)の道重が稗貫郡に入部した事から始まるとされます。室町期の城主の稗貫俊行以降は稗貫氏の城となったようです。天正十八年(1590年)、豊臣秀吉の奥州仕置で稗貫氏は改易となり、城は、天正二十年(1592年)の秀吉の破城令で破却されました。

堀と土塁
  
二重堀
二重堀
堀と土塁
山門から参道の枡形土塁を見る       光林寺         
小森林館 f4185

@ こもりばやしだて  別名:小森館 A住所:花巻市石鳥谷町小森林2 旧:稗貫郡石鳥谷町(ひえぬき)
B目標地点:国道4号線塚の根の信号そば   
C形式:丘城  D比高:5m  E現況:山林  F遺構等:郭・土塁・堀・説明板
G時代/人物:室町期/小森林氏 H満足度: 凸+  I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:15分
J撮影・訪問時期:2025年04月
東北自動車道の花巻インタを下り、県道37号線に入ります。約2.5km先、花巻温泉・台温泉入口の信号を左折し国道4号線に入ります。約2.5km先、塚の根の信号の先左手に説明板があります。説明板の裏から下りていくと南の堀跡と思われる低地が伸びています。奥で右手に切岸を登りながに入りますが薮状態です。横切るとまた堀跡があり、向こう側にまた台地が見えます。いったん国道に戻り、北郭を奥に入りますがやはり藪です。土塁の痕跡かなと思うところもありますが、確かなところは判らないまま退散しました。

築城時期は不明です。稗貫氏の有力家臣の小森林氏の居館と言われ、永享七年(1435年)の和賀氏と須々孫氏(すすまご)<煤孫氏>の騒乱では、稗貫氏は当初須々孫氏に付きましたが、後に和賀氏に従ったようです。(なお、須々孫氏は和賀氏の分流同属です。) この争いに稗貫氏の家臣として小森林治部少輔の名があります。この頃には小森林館を居城としていたと考えられます。廃城については、天正十八年(1592年)、豊臣秀吉の奥州仕置において、稗貫氏は改易となったため、小森林氏も没落したと思われます。

国道沿いの説明板       南の堀   
南郭と北郭の間の堀      北郭       
南郭から堀越しに北郭の切岸を見る

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